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ホームページの開設が必要だと考えるようになったのは、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災が、きっかけです。
1995(平成7)年2月初旬、阪神・淡路大震災の爪痕が色濃く残っていた神戸を、ボランティアとして訪れました。
そこで、情報発信の必要性を、肌で感じたのです。
情報発信について模索していた、1996(平成8)年2月、マルチメディアコミュニケーション実験のことを知りました。
それは、ホームページの開設について、条件を定め、無料で支援するという事業です。
1996(平成8)年3月に、財団法人ニューメディア開発協会提供「VC富山」への参加が承認されました。
ただ、参加の条件が、「自分でホームページを作る」ことで、それを額面通り受け取り、ホームページは、自分で作らねばならないと、思い込んだのです。
ホームページを自分で作るため、雑誌などを参考に、独学で、最終的には、ワープロソフト一太郎のテキストで、html(タグ)を使って作ることになりました。
ちなみに、当時、ホームページ作成ソフトの販売は、されていなかったのです。
笑い話になりますが、後日、ホームページは、自分で作らずとも、どこかへ依頼しても良かったことが、分かりました。
業務の合間にホームページ作りを行い、出来上がるまで要した日数は、5日間です。
そして、1996(平成8)年6月28日(金)「ようこそ宇奈月町へ」(19P)のホームページを公開開始しました。
宇奈月町社会福祉協議会としての、公式ページがスタートしたのです。
全国の都道府県・市区町村社会福祉協議会で、それまで公式にホームページを開設していたところはなく、一番最初に公開を行ったことになります。
1997(平成9)年1月16日(木)に、ロシア船ナホトカ号重油流失事故関連で宇奈月町社会福祉協議会が、「富山湾重油災害ボランティア」事務局を設置。
同日、午後7時15分「富山湾重油災害ボランティア」ページを開設しました。
その日以降、重油災害ボランテイアページは、3ヶ月間1日3回の更新を続けました。
その後、重油災害ボランティアページを「今日の事業や会議など」に名称変更し、更新を継続しました。
1997(平成9)年2月、私が作成していた宇奈月町社会福祉協議会のページが Yahoo! JAPAN の Cool Site に指定されました。
2009(平成21)年4月本所へ異動になるまでの11年間、休みの日を除きほとんど毎日更新を続けました。
定期的に、全ページ更新を行い、デザインや内容を変更することで、ホームページ作成についてのレベル維持に努めていたつもりです。
リンクページは、全国の社会福祉協議会で一番多いものだったと思っています。
また、ホームページの事務所地図なども、ソフトを購入し、作ったものです。
市町合併後も、黒部市社会福祉協議会ホームページの全てを担当していました。
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