法然上人の教えは、一口にいうと「専修念仏」ということであります。つまり、ご遺訓の『一枚起 請文』の結びにも示されてあるように、「ただ一向に念仏すべし」という一語に尽きるといえるでしょう。それも各自が、「疑いなく往生するぞと思いとりて申す念仏」の相続に他なりません。上人の詠まれた歌の一つに、今は宗歌に制定されている、「月かげのいたらぬ里はなけれどもながむる人のこころにぞすむ」という一首があります。これは、「光明偏照十方世界念仏衆生摂取不捨の心を捨て」と前置きされているように、阿弥陀仏の光明があまねく十方の世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわぬ、大慈悲のみ心を、月に託して詠まれた名歌であります。上の句 は阿弥陀仏の本願のこころを、下の句はその本願力にすがって救われようとする衆生の信心を表現しております。つまり、常に衆生救済にむけてのみ働いている阿弥陀仏のみ心と、それを感じそれに応える安心(信念)と起行 (実践)がなければ、仏凡一体の親しい交わりは成り立たないことを示しているのであります。