本波隆 ほんなみたかし honnamitakashi
 『寿楽苑だより』編集後記 

honnami takashi 本波 隆(ほんなみ たかし)が、舟見寿楽苑で隔月発行の広報紙『寿楽苑だより』の編集を、2013(平成25)年6月1日発行第63号からから担当。編集後記に記載したもので、67号から134号までをご紹介。。。。




No.68  2025(令和7)年 3月20日発行『寿楽苑だより』134号掲載
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 散歩へ出かけた時のこと、青空に白い雪をかぶった山を見て、「あったかなって来たし、どっか旅行でも行きたいね」。すると連れが「どっか行くがはいいけど、遠くにいる叔父さんや叔母さんの所へ、手土産のまんじゅう1個でも持って訪ねたら」。そして、「宅配便で立派な菓子箱送るより、どれだけ喜ばれるか」

 足元近く道路の隅に、ペタッと倒れている緑色の葉があるのに気づき「雪の重さで、やられたんやろね」と私。「あんだけ積もったし、木の枝も折れたぐらいやから仕方ないね。でも、草や木たち、どんなことあっても立ち上がってくるわ」。続けて、ニヤッと笑いながら「あんたとは、違ってね」と連れ。

 楽しむのはいつも自分だけ。でも、自分だけより笑顔の数を増やせば、きっと楽しさも倍増。手土産に「元気でしたか」の声を添えご無沙汰の家を訪ねる計画を立てれば、曲がり気味の背中も少しは真っすぐに。



No.67  2025(令和7)年 1月20日発行『寿楽苑だより』133号掲載
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 青空に誘われ、散歩へ出かけたときのこと。サクサクと軽やかな音が聞こえてきたので見ると、高齢の女性がスコップで雪かきをしているでは。「一人暮らしやけど、頑張っておられるね」と私。すると「あの人、暗なってから、電気が点いとるか見守りしとる人。それが元気で、若いもんでも嫌がる、雪かきをやよ」と連れ。

 そこからしばらく進み、チ、チッと小鳥の鳴き声がして見上げると、鳥が群れで柿の木に止まっており、私が「鳥たち、やこなった柿、食べとるわ」。連れが、「雪で餌ないがになったから、来たがいろ。柿の実全部取らんと、上の方だけでも残してあっていかったね。あったら助かる生き物、あんなにおるがやから」。

 食べられないほどあるのなら、けちけちしないで、おすそ分け。抱え込んでしまうより、どれだけ喜ばれることか。もらって嫌がる人なんて、どこにもいないのだから。おっと、筆が雪で滑ったか、つい自分のことを。



No.66  2024(令和6)年11月20日発行『寿楽苑だより』132号掲載
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 散歩へ出かけたとき、スーパーでのことが話題に。「パック入りのショートケーキ取って、目を細めじっと見とる人がおったよ」と私。すると、「あれは、カロリーや糖質の確認しとったが。でも、つばきをゴックンと飲み込んでから、元へ戻したもん」と連れです。そして、「食べたいのに我慢しとったら、ストレスたまるけどね」と。

 しばらくして、自転車に乗った高齢の男性が、「くーもりガラスを」と歌いながらやって来たでは。私が「自転車は、いい運動なるね」。「声を出すのも喉の運動やよ。あの人、その2ついっぺんにやっとるが」と連れ。

 好きな物でも、食べ過ぎると体に影響あるけど、逆に我慢し過ぎると精神衛生上いいことはないから。などと、自分に都合のいい屁理屈をこね、飲み食いを重ねた結果の、我がぽっこりお腹。「ふーっ、まんぷく」と手でなで回す暇があったら、誰かさんに愛想をつかされる前、たまった脂肪を本気で減らすことを。



No.65  2024(令和6)年9月20日発行『寿楽苑だより』131号掲載
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 河原へ、散歩へ出たときのこと。暑い日で、ゆるやかに流れる川の水を見て思わず「あこで、手でも洗ってこようか」と連れに。すると、「水と火は、小さく見えても、危ないがやよ。この年して、年寄りなんかに言われたこと、覚えておらんが」。言われて、穏やかそうに見えても、鉄砲水等があることをすっかり忘れて。

 私が、「近づいてくるのは水だけじゃない、人間もおったね」。「そうそう。自分にとって、何か得られるものがあると思って近づいて、それがもう無いと感じたら、離れていく人がおろう」。続けて、「よく考えたら分かるもんやけど、そんな人って、信用できようか」と連れ。

 台風等による影響で、豪雨による被害が各地へ拡大。やはり、水と火はあなどらず、上手なつきあいが必要のよう。だけど、周りから信用されてないと気づいてなかったのが、まさか自分だけなんてことは。



No.64  2024(令和6)年7月20日発行『寿楽苑だより』130号掲載
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 河原へ散歩に出かけた時、道路横にある家の中から、声が聞こえてきました。それが、悪口だとか、なんとか。「悪口を言われると嫌なもんやし、どうして言うがかね」と私。すると連れが、「悪口やと思っとるのは自分だけで、本当のことやってあるもん。耳に痛いからって、それが全部悪口やって言われんよ」。

 私が、「そう言うたら、これまで本当のことを言われて、腹が立ったこと何回もあったわ。でも、考えたらそれって悪口じゃないし」。続いて連れが、「でも、世の中には悪意を持って悪口を言う人もいるから、そのあたりは、ちゃんと見極めんと。そんな人に限って、出す声が大きいがや」。

 声が小さな人の言葉は、耳へ届きにくいもの。だけど、その中に真実があることだって。声の大小に関わらず、どんな人の言葉にも耳を傾け、それが悪口なのか、実は本当のことなのかの判断を、誤ってなど。



No.63  2024(令和6)年5月20日発行『寿楽苑だより』129号掲載
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 散歩に出かけた時のこと。道路横にある家のペンキが、きれいに塗られているのに気がついて、「ここ、いいがになったわ」。すると、連れが「お金が少しぐらいかかっても、そんなもんには代えられんからね」。そして、「ところで、家の玄関先。ペンキがボロボロになっとるが、知っとった」と言われて、返す言葉が。

 途中、前からやって来た男性の靴を見て、「そうそう。この前、紺色のスーツを着た人が靴下履かんと、素足に靴履いとったよ。裸足でやぜ」。「何言うとるが。それ、今ばやりのファッションの一つ。あんたがこの前、左右柄の違う靴下履いて出かけたのは、ファッションじゃないけどね」と、またまた厳しい指摘を。

 厳しくても、言われなければ気づかないことがあるもの。ましてや、チクリと言われたのだから、ボロボロのところを修繕するため、少々のお金を使ってでもきれいに直さないと、こんどは太い注射でズブリと。



No.62  2024(令和6)年3月20日発行『寿楽苑だより』128号掲載
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 散歩に出かけたとき、真新しい自転車に乗った高齢の男性が、立ちこぎしながらこちらへやってくるのと出会いました。あの男性、以前は、少々古い緑色の自転車に乗っていた覚えが。「立ちこぎって力いるがに、ようできるわ」。すると、連れが「年取っても、新しい自転車買って元気に乗ろうという、その気持ちやね」。

 途中道路横にある建物の玄関が掃除してあるのに気づいた連れが「玄関みたら、家の中がどんながになっとるか分かるよ。それに、玄関汚いと神様入って来んて言うし」。言われて見ると、その玄関はピカピカ。

 年だから、などという人がいるけど、実年齢と体内・精神年齢等は人によって違うもの。いくつになっても、新しいことに挑戦する気持ちがあれば、まだまだ捨てたものではないはず。まずは、これまで人任せでやったこともない、連れが喜ぶ我が家の玄関の掃除手伝いなどをして、点数を上げることから始めようか。

 


No.61  2024(令和6)年1月20日発行『寿楽苑だより』127号掲載
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 年の暮れ、遅い時間に知人からの宅配便が届きました。受け取って「大変ですね」と言うと、「いえいえ」と手を横に振りながら急いだ様子で車の方へと。「宅配の人、朝から夜まで休む時間もなくて大変だ」。すると、家人が「送った人の温かい心が、箱の中にいっぱい詰まってるのを知っとるから、頑張れるじゃない」。

 能登半島地震の直後から、電話、スマホ、メールなどで続々と安否確認の連絡が入り、どれだけ元気づけられたことか。普段からやりとりをしている人たちからで、宅配便で荷物を送ってくれたその人の名も。

 最近、年賀状、お中元やお歳暮などを止める人がいるのだとか。年に1度か2度だけでも、お世話になった人や親戚等へ感謝の気持ちを形にして送り、元気を確かめあうって、悪くない慣習のはずだけど。

  簡素化という理由だけで、まさか相手を思いやる人としての心まで、名簿と一緒に抹消しようなどとは。

 


No.60  2023(令和5)年11月20日発行『寿楽苑だより』126号掲載
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 散歩に出かけた時のこと。河川敷で工事が行われており、木や草に覆われ隠れていた小川が、その姿を。連れが「なんてきれいな水。春暖かくなって、あこで石鹸使って洗濯したら、どんだけ気持ちいいやろ」。川が汚れるから、それは出来ない相談だけど、昔は洗濯板と木製の丸いタライで洗濯していたものだよなと。

 連れから、「どうして、下を向いて歩くがけ。散歩の時ぐらい頭を真っすぐにして、景色を楽しみながら歩いたら」と厳しい言葉。スマホ見過ぎもあり背中が曲がり気味、痛い所をつかれたぞと、慌てて背筋をピン。

 水がどんなに冷たくても、手での洗濯が当たり前だったのは、随分昔のこと。そのためか、いま手がひびやあかぎれで真っ赤、などという人は滅多に。苦労知らずの、やわなこの手を眺めながら、くせがついて曲がり気味の我が根性はもう手遅れのような気がするけど、せめて姿勢だけでも意識して真っすぐに。



No.59  2023(令和5)年 9月20日発行『寿楽苑だより』125号掲載
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 夕方、散歩の途中スマホのベルが鳴って出ると、送った物が届いたと知人からお礼の電話です。用件が済んで電話を切った途端に連れが、「どうして、用件だけで電話を済ませるの。こんど一緒に、どこかへ行きたいですね、なんて余計でも言えば会話はつながるでしょう。職場の電話じゃないんだから」。

 その時、出かけた先で会った人のことを思い出し、私が「そういえば、あそこへ行った時、声をかけてくれた黒い女性がおったが、忘れんわ」。「そうそう。初めてで心細かったけど、あの笑顔と声でどれだけ救われた気がしたか」と連れ。そして、「この先、もし逆の立場のことがあったら、私たちから声をかけてあげんとね」。

 口に出さないと、水一杯も手に入らない社会。だけど、どう声をかけていいか、分からないことがあるのも事実。もし、困ったような人を見かけた時は、余計なお世話を承知で「どうされましたか」と尋ねるのも。



No.58  2023(令和5)年 7月20日発行『寿楽苑だより』124号掲載
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 夕日が落ちる前、散歩へ出かけた時のことです。「この時間になっても、まだ明るいね」と言うと、「明るいから、気分も違うわ」と連れ。そして、「暗くなっても、玄関が暗いままの家ってない。電気代のせいだけでないと思うけど、玄関が明るないとお客さんは入って来にくいし、真っ暗やったら帰りたなるもん」。

 道路沿いの田んぼ、育った稲を眺めながら「家のタマネギ、あんな大きいのが採れたが初めてやったがじゃない」。「今年は豊作。タマネギは、小さいカボチャぐらいながもあったよ」と、連れです。「採ったがは全部干したけど、タマネギを使うとニンニクと一緒で、料理の味が引き立つし、体にもいいから」。

 人が訪ねて来ない家は幸せも入りづらいのだとか。その真偽はともかく、明るい玄関だと誰も入りやいのは事実。家の玄関、暗くなる前に電気を点け、タマネギ料理のいい香りで備えておこうか、千客万来に。



No.57  2023(令和5)年 5月20日発行『寿楽苑だより』123号掲載
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 夕方、散歩へ出かけた時のこと。うっそうと茂っていた果物等の木が、ほとんど切られているのに気づき「やってた人がおらんようになって、若い人たち切ったがいね」。すると連れが「植えた人は好きでやってたからいいけど、側の家の屋根まで枝が伸びて、迷惑やったはずやよ。その後始末、若い人たちへ残されたね」。

 少し歩いたところで、肉を焼いているいい匂いが、ぷーんと漂ってきたでは。私が「どこかでバーベキュー、しとるみたいやね」。すると、「長いこと集まられんだし、一緒におしゃべりしながらの食事もできなんだ。やっとやわ」と連れ。そして、「何年ぶりかで、遠くにいる人なんかと顔を合わせられるが、今から楽しみ」。

 好きで楽しいのなら、何をやってもいい訳ではなく、限度があるもの。ましてや、他の人が困ることなどは論外。後世に残すべきものと、残してはいけないものを判別し、間違えても苦労の山を宿題として残すのは。



No.56  2023(令和5)年 3月20日発行『寿楽苑だより』122号掲載
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 寒さの残る日の朝、散歩へ出かけたとき、橋の上で、しゃがんでいる男性がいるのに気がつきました。細い棒のような物を持っており、見ると釣竿。「こんな寒い日でも、じっと我慢できるんやね」と私。すると連れが、「仕事なら嫌かも知れんけど、趣味は違うよ。嫌なことにみえても、心の持ちようで変わってくるから」。

 「顔を上げ、川の向こう岸、杉の木の間から、白い煙がモクモクと上がっているのを見つけた連れが、「あの煙のとこ、人々が生活していること分かるわ」と。そして、「今、外で燃やすのは問題やけど、薪で炊いたご飯、どれだけおいしかったことか。光熱費も上るというし、なんか考えられんもんかね」。

 困ったことをどう解決するか、それを楽しめるようなら面白くなるのに、嫌なことから逃げてばかりのこの身。たとえ茨の道でも真正面から立ち向かい、明るい光を手に入れるための努力を、よもや怠ってなど。



No.55  2023(令和5)年 1月20日発行『寿楽苑だより』121号掲載
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 休みの日に散歩へ出かけた時のこと、道路沿いにある田んぼに、黄色いビニール袋と、果物の食べ残しや紙などが捨てられているのを見つけた連れが、「田んぼの中にゴミ捨てるなんて、いったいどんな心を持っとる人なが」。そして、「もし、自分の家の玄関先に、ゴミ捨てられたら、どう思うか分からんはずなかろに」。

 「自分で汗水流しとらんから、分からんがいろ」と私。そして、「そう言うたら、働いて手にしたお金は、もったいなて1円でも大事にするがに、簡単に手に入ったお金って、どうして必要ないもんに使ったりするがいろ」。すると「同じお金やけど、そこに自分の思いがどれだけ詰まってるかで、違うがじゃないが」と連れ。

 その時は悪いことをしたとの意識がなくても、心の奥にはいつまでもそのことが残るはず。後日どうしてやったのかと、詰まっていた冷や汗が流れて顔から火が出る恥ずかしい思いは、ゴミ捨て君よ、もう絶対に。



No.54  2022(令和4)年11月20日発行『寿楽苑だより』120号掲載
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 一緒に歩いていた時のこと、連れが「家へ30キロ程の荷物が届いて、運んで来た人に手伝いましょうかと言ったら、大丈夫ですよって。その運転手さん女なのに」。そして、「男でも持てないくらいの重い物、仕事とは言え大変。荷物を家へ届けてくれる人たちに、ちゃんとありがとうって言ってた」、と問われてドキッ。

 夕食は、収穫したカボチャの料理だと聞き、「カボチャ、どのぐらいあるが」と私。すると「苗を1本植えたけど、枯れるが心配でもう1本余計に植えたら2本とも実って、豊作やったよ」。ずっしり重い我が家のカボチャ、素材の良し悪しは別として、料理の腕に過大評価を加えて、味はもちろん言うことなし。

 心の中でどれだけ感謝していると思っていても、口に出さねば相手へは伝わらないもの。嫌われる自慢話は控えることにし、どんな些細なことでも「ありがとう」という感謝の言葉を、よもや忘れていたなどとは。



No.531  2022(令和4)年 9月20日発行『寿楽苑だより』119号掲載
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 午前中、散歩で河原の土手を歩いていると、目へ飛び込んできたのが大きな流木。連れが、「もったいないね。あの木を燃料にすれば、ご飯なんてどれだけでも炊けるのに」。その昔、燃料が乏しかった時代は、流木も大切な資源。でも、今は重い生木なんて欲しがる人はいないようで、すっかり邪魔者扱いに。

 あちこちに流れ着いた流木を見ながら歩いていると、草むらから「リ、リ、リッ」という、虫の鳴き声が聞こえてきたでは。虫が鳴くのは暗くなってから、と思い込んでいたけど、耳を澄ますと日中でもいろんな鳴き声が聞こえてきます。連れが、「鳴いてる虫たち、あの暑い夏を乗り切って、無事に秋を迎えられたようね」。

 他人の心の声を聞きたい気もするけど、もし本当に聞こえたら、きっと日頃の行いが悪いこの身へは、悪口ばかり。家でも外でも邪魔者扱いの身だけど、せめて人の心の奥に暖かい火を灯せるような生き方を。



No.52  2022(令和4)年 7月20日発行『寿楽苑だより』118号掲載
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 散歩へ出かける前、近くにあったシャツを着ようとすると、家人から「なんで、いつもそんな古い物ばっかり着るが。新しいのがないわけじゃなし」と。そして、「見とる人やって、古いがより新しい服見たら気持ちいいし、もったいないからって、着んと時代遅れになったタンスのこやし、どれだけあるが」と、痛い所を。

 別のシャツを着て散歩していると、若い夫婦連れの女性が、笑顔で「こんにちは」と声を。これまで、何度か顔を合わせているけど、どこの誰かは知らない人。出会った私たちにも声をかけるぐらいなので、きっと家や職場などでも同じようにしているのでしょう。笑顔で話しかけられると、こちらまで自然と笑顔に。

 物を大切にするのもいいけど、限度があることは肝に銘じたいもの。その限度なんて関係なく、振りまけば、誰だって幸せな気分になるのが笑顔。眉間のしわなんて捨て去り、いつも笑顔で挨拶ができれば。



No.51  2022(令和4)年 5月20日発行『寿楽苑だより』117号掲載
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 散歩へ出かけたときのこと、田んぼを見ながら、「昔、田植えが終わったら、野上がりいうて、温泉へ行ったが覚えとるわ」と私。すると家人が、「それだけ働いとった証拠で、今の人の何倍も体使っとったろ。あの頃は田植え機なんてなかったし、なんでも手作業でやっとったから、疲れる度合いが全然違とったもん」。

 そのとき、橙色の太陽がちょうど地平線へ沈みかけており、思わず手を合わせ「太陽が、朝昇るのと、夕方沈むの見たら、どうして手を合わせてしまうがかね」。それを耳にした家人、「お日様が、ちゃんと顔出してくれんと、稲は育たんし、人間も生きていかれんやろ。そのこと、体が自然に分かっとるからやと思うよ」。

 汗水たらし懸命に働いていた昔の人に比べると、まるで遊んでいるのと同じなのに、頭にあるのはサボることばかり。汗を流して働ける幸せと、万物へ感謝の気持ちを忘れずにいたか、胸に手を当てて。



No.50  2022(令和4)年 3月20日発行『寿楽苑だより』116号掲載
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 探し物を取りに、家の小屋へ行ったときのこと。雪が降る前に収穫した大根が、何本か残っているのに気がつきました。切り落とし損ねた葉がすっかり黄色くなっており、しなびた大根の中は、おそらくスが。家人が、「せっかく育てたけど、口へは入らんかったね」。そして、「あんな手間暇かけて作った、大根やったがに」。

 食材を求めにスーパーへ行くと、この時期でもキュウリやトマト、外国産の見たこともないような果物や野菜等が売られており、ついそちらへ手が。季節に関係なく食材が手に入るのは、とてもありがたいこと。だけど、どうしてだか目新しい物に惹かれ、それで、家にある大根を捨てねばならない羽目に。

 汗水たらして育てた恵みの野菜を、ついうっかり等の理由で簡単に処分するようなことがあっていいはずは。野菜に限らず、お金を払えば買えるのだからと、物を粗末に扱っていなかったか、胸に手を当てて。



No.49  2022(令和4)年 1月20日発行『寿楽苑だより』115号掲載
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 雪の始末のため、スコップ等を使って家の前で除雪をしていた時のこと。近所で雪かきをしている人の姿も見え、互いに挨拶です。すると、一緒に雪かきをしていた家人が「いつもやと、外で人の姿は見られんのに、雪のお陰で顔を見ながら話ができるね」。そして、「雪かきは大変やけど、いいこともあるがや」。

 除雪の後、家で休んでいた時、テレビをつけっぱなしにしながら、家族全員見ていたのがスマホ。それに気づいて「黙ってスマホばかり見るがって、どいがいろ」。そう言うと、家人が「暖房を、火鉢に変えたらいいかも知れんね。指先を温めるため、両手を炭火の方へ近づけるはずやから、スマホなんて持たれんし」。

 楽で楽しい方へ流れたいのは、人の常。それを断ち切るには、荒療治が必要なこともあるけど、辛くて苦しいばかりだと長続きしないもの。たまに、スマホの電源を切って、外へ出るぐらいなら今日からでも。



No.48  2021(令和3)年11月20日発行『寿楽苑だより』114号掲載
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 暗くなって散歩に出かけた時、大きな懐中電灯で照らしながら、家へ入ろうとしている女性がいるのに気がつきました。連れが「あの家のじいちゃん、一人暮らしやったはずやよ」。そして「兄妹か親戚やと思うけど、心配で見に来とるんやね」。思い出したのは、日曜の朝も、あの女性が同じ家を訪ねるのを見たこと。

 家族一緒にいる時は、やれ「物を出しっぱなしにして、片づけてない」だの。「どうして、ゴミをきちんと捨てない」だのと、たわいもないことで、叱られてばかり。あんまりうるさいから、時には一人でいたいと思うことだって。でも、考えてみれば、すぐ側に何でも言ってくれる人がいるだけ、幸せのようで。

 一人暮らし高齢者宅を、親戚や民生委員等の関係者が、定期的に訪れていることを知ると、頭が下がります。親戚のように細やかにとはいかないけど、せめて顔を見た時「お元気ですか」と、声掛けぐらいは。



No.47  2021(令和3)年 9月20日発行『寿楽苑だより』113号掲載
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 散歩へ出かけた時、連れと話に出てきたのが、お金のことです。「お金は、どれだけあっても、これでいいってことないもんやね」と言うと、「お金お金ってばかり口にして、それに頼ってばかりだから、心が失われていったんじゃない。お金がなくても、昔の人たちは、幸せにしてたでしょう」。

 そう言えば、昔、畑で採れた野菜や、いただき物などがあれば、それを近所の親戚等へ届けるのが子供たちの役割。お駄賃だと、飴玉1個もらって、大喜びしたもの。あの頃、困った時には、黙っていても誰かが救いの手を差し伸べ、お金がない分、助け合いの心が色濃く残っていたのを、子供心にも覚えています。

 収入を得、なんでもお金で済ませられると勘違いするようになってから、この心がさもしくなってきたか。困っている人を見かけた時「どうされました」と声をかけ、たまには、幸せのお裾分けの真似ごとなどを。



No.46  2021(令和3)年 7月20日発行『寿楽苑だより』112号掲載
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 夕暮れには少し早い時間、散歩へ出かけた時のこと。道路脇に生えている草を見て、連れに「伸びた草は刈らんとだめやし、じゃまなだけで、いらんもんや」と言うと、「世の中、役に立たないものなんてないよ。人間だってそうでしょう」。「えっ。でも」と言いながら、そこでは返す言葉がみつからず。

 その先、草刈りをしたばかりの田んぼのあぜを、2羽のカモが歩いているのに気がつきました。後ろにいたカモが、餌になる虫でも見つけたか、田んぼの中へと移動。前のカモが、それに気づいたらしく立ち止まって振り返り、後ろのカモが田んぼから出てくるのを待って、また一緒にあぜを、向こうの方へヨタヨタと。

 鳥でさえ気配を感じ遅れた連れがくる迄待つというのに、口を開けば減らず口、たまのご機嫌取りでは、心にもないお世辞を並び立てようとするこの身、誰かさんのように思いやりを態度で表す方が先だったか。



No.45  2021(令和3)年 5月20日発行『寿楽苑だより』111号掲載
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 夕方、散歩に出かけたときのこと。おしゃべりをしながら農道を歩いていると、連れから「車が、いるよ」と言われて振り返ると、灰色の軽四車がすぐ後ろに。散歩の邪魔をしないようにと、こちらの歩行速度に合わせての徐行運転です。私なら、横に並んで邪魔、とクラクションを鳴らすのに、優しい運転手さんだ。

 堤防の上を歩きながら、口から出てくるのは誰かさんたちの噂話。あの人が、こうで、こっちの人が、ああだと、まるで川の水が流れるように、おしゃべりは止まりせん。ところが、他人の悪い点だと、いくらでも出てくるのに、褒める言葉が殆んどないことに気づき、いけないいけないと、人差し指を立てて口元へ。

 誰かを非難するのは簡単。だけど、自分がその立場になった時、後ろ指をさされず完璧にできるかと問われると、それは無理。なら、悪口は口から出る手前で止め、 表へ出すのは優しい言葉と心遣いだけに。



No.44  2021(令和3)年 3月20日発行『寿楽苑だより』110号掲載
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 前を走っていた車、制限速度を20キロ程も下まわる、超低速運転。追い越し禁止区間のため、先へ行くことができずイライラも最高潮に。すると、前の車の窓から、紫色のゴム手袋をした手が出て、前へ行けとの合図です。どうしてだか、ゴム手袋をしたままの運転だけど、探していた家がようやく見つかったようで。

 緩い坂道を、右手に杖、左手に長い傘を杖代わりに持って歩いている、高齢の女性がいるのが目に入りました。上品そうな黒いコートの上に、灰色のリュックを背負い、どこかへ出かける途中だったようです。足が少し不自由で、その歩き方はゆっくり。暖かくなって来たので、心もワクワクお出かけ気分になったのか。

 他人のことより、優先するのはいつも自分の都合ばかり。他人の痛みに鈍感で、冷たい心しか持ち合わせていないとは、我ながらなんとも情けない、己の度量を大きくするには、まだまだ修行が足りないな。



No.43  2021(令和3)年 1月20日発行『寿楽苑だより』109号掲載
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 大雪が続いていたときのこと。こちらの車の前を走っていたのが、雪を遠くへ吹き飛ばす乗用の小型除雪機です。ブルドーザーに比べると小さいけど、歩道際の除雪なら、他に勝るものはなし。後ろ姿が、やけに大きく見えたその除雪機が、左側へ寄り、手を振ってこちらに先に行けとの合図。気は優しくて、力持ちだ。

 坂道の手前、前方にいたもみじマークの車へ追いついた時、圧雪デコボコ道のため、ゆっくり坂道を上り始めたその車が、すぐ左側へ寄って停車。非常灯の、点滅もせずにです。先に行けとの意味だなと、雪道に大きくハンドルをとられながら、反対側車線へはみ出て追い越したけど、あんなところで止まらなくても。

 同じ事をしても、褒められたり、叱られたりすることがあるもの。その差なんて、ほんのわずか。言葉での意思疎通が難しいと感じた時は、自分の思いを相手へどう伝えるかぐらい、誰かに言われなくたって。



No.42  2020(令和2)年11月20日発行『寿楽苑だより』108号掲載
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 車で職場へ向かう途中、道路横にある畑の隅、茶色く錆びた波型のトタン板が置いてあるのに気がつきました。トタンの下には、野菜の支柱用杭や、竹などが置いてあるのでしょう。野ざらしだと、雨や雪などのため早く腐ってしまうけど、たとえ茶色くなったトタンでも、覆っておけば長持ちするから。

 その畑の先、小粒の雨が降る中、こちらへ向かって走って来たのが、黒い長袖Tシャツを着た若い男性。右手に、青いスマホを握り、そこから白いコードが耳元まで延びています。どうやら、音楽等を聴きながらのランニング。 音楽等に集中しての運動だから、降ってる雨など余計なことは考えなくてもいいようだけど。

 雨に打たれたままだと、体が冷えて風邪を引いてしまいがち。ましてや、新型コロナとやらが、衰える気配もない昨今、体を鍛えるのはいいけれど、百年に1度の危機から身を守るため、今優先すべきは何かを。



No.41  2020(令和2)年9月20日発行『寿楽苑だより』107号掲載
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 車を運転中、右側にある横道から出ようとしている軽四車がいるのに、気がつきました。右折しようとしていたようですが、止まる気配はなし。車体の半分以上道路へ出たところで、こちらの車に気づいたのか、ようやくそこで停車です。それが、まるで車線をふさぐかのように、車体を斜めにして。

 その車が、後ろへくっついたのはいいけれど、追い越しをするつもりなのか、センターラインをまたぎながら蛇行運転です。ところが、そこは、追い越し禁止の所。なんだこの車は、と思ったら、急に速度を落として、こちらの車の真後ろへと移動。その理由が、すぐに分かりました。前から、パトカーがやって来たからだ。

  1度ならず2度までも、誰かに迷惑をかけなければいい、というものではなく、ましてやルール違反紙一重とは情けない。権力におもねる輩め、などとは言いたくなけれど、市井の人がしっかり見ていることを。



No.40  2020(令和2)年7月20日発行『寿楽苑だより』106号掲載
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 ある集まりに、出かけたときのことです。駐車場で知っている男性を見かけ、「こんにちは」と声をかけたのですが、返事なし。気がつかなかったのかも、とすれ違ったとき、また挨拶したのに、やはり。お互い、大きなマスクをしているので、こちらの声と顔に気づかなかったようだなと思いながらも、心にモヤモヤが。

 その後、入口近くにいると、ある女性が私に声を。そして、連れの女性に、「ほら」と私の名前を言いながら耳打ちです。その人たちもマスクをしていたけど、言葉を交わしているときに思い出しました。随分前、お世話になった二人で「何年になりますか」と尋ねると、「もう、13年ほど」。そんな私を、よくぞ覚えていて。

  しつこく言うのは返事を強要しているようで嫌だけど、かけた言葉に対し返事があると嬉しいもの。それが、久しぶり会った人だと余計にです。あの男性へもう一度声をかけ、モヤモヤを消せばよかったかな。



No.39  2020(令和2)年5月20日発行『寿楽苑だより』105号掲載
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 昼休み時間に、外へ出かけた時のこと。白Tシャツの上に、ピンク色のおしゃれなベストを着た女子高生らしき若者が、散歩しているのに気がつきました。普段だと、登校時間なので地域では見かけない年代層だけど、新型コロナウィルスのため家で待機中。平日の日中、若い学生を見られるのは、こんな時だけかな。

 自動販売機の前、財布から小銭を取り出そうとしている、高齢の男性がいるのが目に入りました。一仕事終わり、喉の渇きを潤すため、選んでいたのでしょう。ついこの間まで、温かい飲み物がよかったのに、今は冷たい方へ手が伸びます。ツバメも元気よく飛び回っているし、季節を、目と喉の両方で実感だ。

 行きたい所が、全部消えて無くなる訳でもなし。こんな時だからこそ、みんなで喉がカラカラになるほどおしゃべりした後、冷たい一杯が飲める日を楽しみに、ウィルス感染終息まで、もうしばらく辛抱するか。



No.38  2020(令和2)年3月20日発行『寿楽苑だより』104号掲載
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 「さいたー さいたー チューリップの花がー」と、思わず声に出して歌い始めたのは、旅先でのことでした。ホテルで、胡弓のような楽器と横笛、太鼓の生演奏の途中、突然聞き覚えのある曲が耳へ飛び込んできたのです。それが、童謡「チューリップ」。どこかで聞いたような曲だと思ったけど、まさかあんなところで。

 「5年に1度のお祭りが始まったけど、まだなのか」と、現地の古い友人から催促の電話が何度も。途中、立ち寄らねばならない所があり、遅れ気味。到着したら、入口からして超満員です。VI Pカードを受け取って首から下げ、人ごみの中を誘導されつつ中へ入ると、そこには。なるほど、あれなら電話をかけてくる訳だ。

 金銭的には恵まれているはずなのに、口から出るのは「ああ忙しい」ばかり。異国で出会った、金は無くとも人との触れあいを楽しみながら、ゆったりと生きている人たちと比べて、一体どちらの方が幸せなのかな。



No.37  2020(令和2)年1月20日発行『寿楽苑だより』103号掲載
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 昼休み時間に、車で外出した時のこと。道路側の家から出てきたのが高齢の女性で、手に持った白い紐をぐるぐる回しながらです。紐の先には鍵らしきものがついており、近くの小屋へでも、行くところだったのでしょう。腰が曲がり、紺色厚手の前掛け姿。そう言えば、前掛けなんて、最近目にした覚えが。

 坂道の途中、車道部分に設置してある標識などの支柱に、黄色いテープらしきものが張られているのに気がつきました。高さは、大人の腰あたりにです。黄色と白、黄色と黒の2種類があるようで、車が支柱にぶつからないよう、注意を促すためのもの。だとすると、夜間にライトで照らされれば、反射して光るやつかな。

 最近見かけなくなった物は多いけど、まだ現役で活躍しているものだって。キラッと光るものを持ち合わせず、さしたる努力もしてないこの身とすれば、今すぐ心を入れ替えないと、しまいには誰の記憶からも。



No.36  2019(令和元)年11月20日発行『寿楽苑だより』102号掲載
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 昼休み時間に車で出かけた時のこと、道路沿いにある事務所の前、紺色のカーディガンを着て、駐車場の方へ歩いている女性がいるのに気がつきました。前から知ってる人なので、窓を少し開け「こんにちは」と声をかけると、こちらへ向かって大きく手を振り返してくれたでは。打てば響くようで、嬉しいな。

 坂道の手前、緑色のトラックが止まっており、荷台に古めの畳が、山のように積まれていました。紐でしっかり縛られ、あれだと落ちる心配なし。近くにある家の窓が全部開けられており、中から家具等を持ち出している様子。畳の入れ替えではなく、家の新築等で、処分を決めたか。

 声をかけたのに返事がないと、がっかり。たったそれだけのことだけど、評価を下げることだってあるのに。おっと。他人のことをとやかく言う前、笑顔での返事を忘れていなかったか、我が身も振り返る必要が。



No.35  2019(令和元)年9月20日発行『寿楽苑だより』101号掲載
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 昼休み時間に、車で外へ出かけた時のこと、前を走っている灰色の軽四車が、緩い下り坂のS字カーブで、対向車線にはみ出しながら運転を始めたでは。それも、中央線を越え、反対側車線へ、完全に出てです。制限速度ちょうどで走るのはいいけれど、もし、対向車が来たら正面衝突で大事故だ。

  道路沿いの家の前に立ち、丸い形で下に網のついたふるいを、左右に振っている女性がいるのに気がつきました。後ろに、枯れて実のついた枝が置かれており、どうやら小豆のようです。太陽の光の下で、虫に食われた小豆などを、より分けていたのでしょうか。そう言えば、昔、薄暗い電灯の下で、同じように。

  自分勝手な思い込みで、このくらいなら大丈夫だろう。そんな甘い考え、痛い目にあう前直さねばならぬのに、それができないこの身。妙な車の運転をする誰かさんと、同じ穴のムジナだったかな。いけませんぞ。



No.34  2019(令和元)年7月20日発行『寿楽苑だより』100号掲載
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 車で外へ出て、丁字路で一時停止した時のこと、右側からやってきたのが、灰色の軽四自動車です。向こうが優先なので、停車したままでいると、その車が合図を出さず突然こちらへ左折したでは。運転席には高齢の男性と、隣に奥さんらしき女性が。うっかりで事故を起こし、新聞などを賑わさなければいいけれど。

  その先、道路横に設置されているゴミ置き場の側面に、紫色のプラスチック製ちり取りが掛けられているのに気がつきました。ほうきは、家から持参するようで見あたらず。ゴミ収集が終わった後、きれいにするため、ちり取りを置いてあるのでしょう。そのゴミ置き場の周辺が、やけにきれいだったのは、言わずもがなで。

  笑って済ませるうっかりならいいけど、時にはそれで済まないことが。取り返しのつかないことにならないよう、誰かが憎まれ役を買って出て、嫌われてもいいから小言を口にし、事故のない社会を作っていかねば。



No.33  2019(令和元)年5月20日発行『寿楽苑だより』99号掲載
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 昼休み時間に車で出かけた時のこと、水の入っていない田んぼの隅、鍬を持って作業をしている高齢の男性が、いるのが目に入りました。転作のため、苗ではなく違うものを植え、水はけを良くしようと溝でも掘っていたのでしょう。細かな所は、やはり人の手でなければ。

  周りをポールの支柱で囲まれている簡易駐車場の中、黄色いブルドーザーが2台止められているのに気がつきました。冬期間、除雪のため常駐しており、暖かくなった頃から姿を消していたもの。どこからか要請を受け、出張していたのかも。寒いとき、あのブルドーザーのお陰で、どれだけ助けられたことか。

  感謝の言葉を期待している訳ではないはずだけど、わずか一言がどうして言えぬ。腹の中でどう思っているかは誰にも見えぬが、言葉にすれば伝わるのに。少々不器用でも、あの人に感謝を込めて、「ありがとう」と。



No.32  2019(平成31)年3月20日発行『寿楽苑だより』98号掲載
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 昼休み時間、車で外出した時のこと、道路横にある駐車場に、パトカーが止まっているのに気がつきました。家と家の間にある駐車場なので、まるで隠れるかのようにしてです。何か、悪いことしてた訳ではないのに、パトカーを見た瞬間、ドキッ。心臓の鼓動が大きくなったのは、心に、いささか、やましいところがあるせいか。

  そこから少し進んだ先、黄色いパワーシャベルが、田んぼの畔にアーム部分を下ろしているのが目に入りました。田植え前、畔の工事等をしていたのでしょう。その昔、水が少し入った田で、専用の鍬を使い畔を塗るのは、大事な農作業の一つ。水漏れなどを防ぐため、隣の田と競うように、それはきれいに仕上げてあったもの。

  仕上がりがいいと、その中味まで保証付き。その点、後から直すことが多く、隠れて修正液を使っている身とすれば、同じ失敗は繰り返さぬことを肝に銘じ、いつでもどこでも胸を張って歩けるようにしなければ。



No.31  2019(平成31)年1月20日発行『寿楽苑だより』97号掲載
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 昼休み時間に車で出かけた時、灰色のロングコートを着て、おしゃれなバッグを背負っている女性がいるのに気がつきました。素敵なコートですから、どこかへお出かけの様子。でも、昔だったら、コートを着た上からバッグを背負うなんて、と言われたはず。ファッションとやらは、凡人の理解を超えたところにあるようで。

  坂道へさしかかったとき、こちらへ下りてくる、高齢の女性とすれ違いました。水色の傘を、杖がわりにしてです。足元が少しおぼつかないようで、傘を頼りにゆっくり。若い時には、どうして杖なんか持つのかと思ったけど、体のあちこちガタが出始める年代になると、ようやくそのことが実感できるように。

  己の身に降りかかるまで、他人の体や心の痛みなんてどうでも、とは情けない。外見を飾り立てるより、いささか汚れが目立つ我が心、他人の痛みもしっかりと受け止められるよう、きれいに磨くのが先だったか。



No.30  2018(平成30)年11月20日発行『寿楽苑だより』96号掲載
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 昼休みに外へ出かけた時のこと、道路に面している駐車場の床に、両足を伸ばし、どっかりと腰を下ろしている、高齢の男性がいました。横にタイヤが積まれ、車の下には赤いジャッキです。北から雪の便りが届いており、いつ白いものが降ってきても不思議では。準備に勝るものはなく、タイヤの交換だって早めがいいに。

 干し柿がぶら下げられた小屋の横を、灰色の作業服を着た高齢の男性が歩いていました。後ろには、腰を曲げた女性が、杖を片手にゆっくりと追いかけるように。老夫婦が、揃って外仕事へ出かけるところのようです。立ち止まって、笑顔で話し始めた二人のその姿が、なんだかほほえましくて、いいよなと。

 口を開ければ、文句ばかり。心の中では感謝しているからと、お礼の言葉もないようでは、いくら近しい間柄でも、伝わるものも伝わらないか。誰かさんに愛想を尽かされる前、優しい言葉の一つぐらいかけても損は。



No.29  2018(平成30)年9月20日発行『寿楽苑だより』95号掲載
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 昼休み時間に外へ出たときのこと、道路近くにある稲刈りが終わった田んぼの隅に、しばったわらが2束立てられているのに気がつきました。コンバインで切り刻まず、畑などで使うため長いまま残したのでしょう。昔、どの田んぼにも、わらを積み上げたわらにょうがあったけど、今では、もう見かけることが。

 信号機に近づいたとき、反対側車線を走っていた灰色の軽四自動車が、左折のランプをつけたまま停車。 それが、信号機のすぐ側でです。見ると、若い運転手君が、携帯で誰かと電話を始めた様子。おいおい、交差点5m以内での駐停車は、道路交通法違反のはず。免許を持ってるのに、それを知らなかったでは。

 うっかりで済むことと済まないことがあり、確信犯だとしたらもっての外、たとえ警察が見てなくても、お天道様は、などとあげつらう前、我が身も後ろ指をさされない生き方を積み重ねてきたか、胸に手を当てて。



No.28  2018(平成30)年7月20日発行『寿楽苑だより』94号掲載
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 昼休み時間に外出したとき、道路横にある空き地に、宅配便の車が2台並んで止まっていました。車の側に会社の制服を着た運転手2人が立って、手にした紙を見ながら話し中。その運転手が、2人とも女性なのです。車の運転を専門にするのは、男性が殆どと思っていたのに、女性の進出はもう男女の垣根を越えて。

 道路に面している小屋の青い屋根の所々が、茶色くなっているのに気がつきました。あれは、長年の風雨や雪などにされされ、サビが出てきたもの。あれぐらいならまだ大丈夫だけど、あまりも古くなると、いつか雨が漏り始めるかも。本格的な台風の時期を迎える前、そろそろペンキ塗りを考えた方が。

 待てよ。そう言えば、我が家の小屋の屋根も、ペンキを塗って約10年。他の家の屋根のことを気にする時間があるのなら、自分の家のこともちょっとは心配しなさいよ、と誰かさんの声が聞こえたのは気のせいか。



No.27  2018(平成30)年5月20日発行『寿楽苑だより』93号掲載
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 昼休み時間に車で出かけた時、道路沿いにある家の玄関先に、灰色のワゴン車が止められていました。バックドアが開けられ、中に黒いカゴへ入った野菜の苗が積まれているでは。晴れた合間を見つけて、畑へ植えに行こうと、準備を始めたところだったのでしょう。それにしても、荷台いっぱいあんなにたくさんの苗を。

 橋のすぐ横に、一斗缶が並べて置いてありました。橋の塗装工事をやっており、そのための塗料缶です。空っぽになったものと、未使用のものが、まるで物差しで測ったようにきちんと積まれて。周りにゴミのかけらもなく、きちんと仕事をする人たちだろうなと言うことが、あそこを見ただけでも。

 片づけや掃除などが嫌いで、いつの間にか回りはほこりだらけ。整理整頓が苦手なことを見破られ、あいつに任せても大丈夫かなと思われる前、さしあたって一番目立つ机の上から、きれいにするか。



No.26  2018(平成30)年3月20日発行『寿楽苑だより』92号掲載
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 昼休みに外出したとき、信号が赤になったため、停止線標識の手前で停車。何か不自然な感じがして、標識を見ると支柱が曲がり、少し斜めになっていたからです。支柱の下に車でぶつけられたような跡があり、その部分がねじ曲がって。注意を促してるのに見落とされた上、ぶつけられるなんてたまったものでは。
 公共施設の建物近くに、黄色いクレーン車が止まっていました。施設表示板が下がっていたパイプに、ロープがかけられており、どうやら取り壊すための作業をしている最中。ところが、毎日通っている場所なのに、そこに、どんな表示板が掲げられていたか、とんと記憶が。
 忘れっぽくなったか、それとも元々覚えるのが苦手だったか、その両方心当たりのある身とすれば、脳を活性化させる必要が。さて、何から始めるか、テレビをつけて横になりながら考えよ。って、それが元凶だったか。


No.25  2018(平成30)年1月20日発行『寿楽苑だより』91号掲載
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 昼休み時間に外出したとき、道路沿いにある家の玄関先に、小さなスコップが置いてありました。持ち手と剣先部分がピンク色の、かわいい子供用です。雪かきの真似ごとなどをし、飽きて置いたままにしたのでしょう。除雪などの役には立たないけれど、元気な顔をしてそこにいるだけで、その役割は十分。
 電柱の上、青いビニールテープでぐるぐる巻きにした、電線の輪があるのに気がつきました。それが、あちこちの電柱にです。電線を設置した後、余ったものを、あんな形で保管するようにしているのかも。万一のことを考え、予備にとってあれば足りなくなった時すぐに使えるので、慌てて誰かに言わずに済むし。
 余計なことを言わなきゃいいのに、一言多いため嫌われたりして。だったら黙っていればいいけど、つい口から。にっこり笑っただけで許してもらえる年代ではないし、与えられた役割をしっかり全うすることで。


No.24  2017(平成29)年11月20日発行『寿楽苑だより』90号掲載
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 昼休みに車で出かけた時、道路横にタンクローリー車が止まっていました。運転席は高くて見えないのですが、助手席のフロントガラスあたりに、白い靴下を履いた足がどーんと。どうやら寝そべって足を上げている様子。休み時間だし見る人は多くないはずだからといっても、あまり褒められたものでは。
 道路に面しているごみ置き場の前、赤い長靴を履き、ホウキで掃いている高齢の女性がいました。緑色の文化ちり取りを左手に持ち、ゴミをその中へ。ごみ置き場の周りなど、いつもは全く気にせずゴミを捨てているのですが、人知れずきれいにしている人がいたのだなと。
 知人に会いそうだからと、見られて恥ずかしくなるようなことはやらないのに、離れた所だとつい。ところが、そんな時に限って誰かとばったり。さて、そんな気まずい思いをせぬためには、おごらず謙虚に正々堂々と。


No.23  2017(平成29)年9月20日発行『寿楽苑だより』89号掲載
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 昼休み時間に車で外出した時、前を、軽四トラックが走っていました。やけにゆっくりだな、と速度計を見ると35キロ。制限速度が40キロの道ですから問題ないのですが、心の中で「おいおい、遅すぎるぞ」の声が。しばらくして40キロにあがり、そのトラックが横道へ入ったところで、ようやくイライラがどこかに。
 道路横にある家の玄関先、大型バイクの真後ろで地面に座り、黒い紐を手で持って作業をしている男性がいました。どうやら、バイクで遊びに行く前の手入れのようで、気になっていたところなどを、みていたのでしょう。ツーリングの途中、もしバイクの具体が悪くなったりすると、周りに迷惑がかかるので。
 悪いのは自分なのに責任転嫁を図ることに汲々とし、すねが傷だらけのこの身、ここは法律とやらをきちんと守り、迷惑だと思われてもお天道様の下、大手を振ってゆっくり歩ける生き方をしたいものだと。


No.22  2017(平成29)年7月20日発行『寿楽苑だより』88号掲載
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 昼休みに出かけた時、右側車線に一台の車が止まっていました。片側一車線の道路でです。そこへ、向こう側から、ちょうど車がやって来るでは。でも、止まる気配がないため、こちらが一時停止。すれ違う時、向こうから会釈でもするかと思ったら、知らんぷり。おいおい、運転手君。世の中には礼儀というものが。
 坂道の途中にある畑の小さいビニールすぐハウスの横で、長袖シャツの女性が作業中。両手に半円形した緑色の細い棒を持ってです。ハウスのどこかに破れた箇所などを見つけ、補修をしていたのかも。破れても、早めに対応さえしておけば、少しぐらいの雨風なら耐えらえるはずなので。
 あの人は、顔を見てもあいさつしなかった、などと些細なことで、その人を評価することが。人から良く思われたい欲深なこの身、内心はぐっと我慢でも、せめて外面と礼儀ぐらいはきちんとしたいものだと。



No.21  2017(平成29)年5月20日発行『寿楽苑だより』87号掲載
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 昼休み時間に外へ出かけた時のこと、50本ほど並んでいる街路樹、他は緑色の葉なのに1本だけ葉全体が枯れたような色に変わっているでは。どの木も同じように手入れをし、やってる肥料も同じはずなのに、どうしてかなと。あの木だけ他の木と違う理由が思い当たらず、疑問は深まるばかり。
 御前林(ばやし)の、大きな松の木に目が止まりました。葉の間から茶色い物がたくさん見えたのです。形からすると、松かさのような気はするのですが、まさかこんな早い時季から。昔、分からないことはすぐ辞書を引いて調べなさい、と言われたのに、結局それを守らなかったつけが、今も尾を引いて。
 皆と同じだと安心できるのに、自分一人だけ他の人と違っていると、不安になるもの。でも、人は人、我は我。良い意味で他と同じでなくても、違う生き方を認められる大きな度量があったか、さて胸に手を。



No.20  2017(平成29)年3月20日発行『寿楽苑だより』86号掲載
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 昼休み時間に外出した際、リュックを背負い、長いあご紐とカラフルな帯のある帽子に、ポケットがたくさんついたベストを着て、駅の方へ向かっている高齢の男性を見かけました。見るからに山歩きの恰好ですが、あの時間からだと、山へ到着したころ薄暗くなり始めているかも。もしかすると、今日は前泊で、ふもとまでか。
 道路に面している家の壁面に、新しそうなタイヤが4本、等間隔で干すように立てかけれていました。近くに車は見あたらなかったのですが、もうタイヤを交換した様子。これから雪が降らねばいいけれど、もしもの場合はどうするのかな、とそれがちょっと気になるところ。でも、あそこの人が交換したのなら、我が家だって。
 さて、自分の選んだ道を歩いていたつもりなのに、いつの間にか長いものには巻かれた方が得策と、変な知恵がつき付和雷同の中にいるこの身、よもや信念を見失い、楽な道だけ選んでいるなどということは。



No.19  2017(平成29)年1月20日発行『寿楽苑だより』85号掲載
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 昼に車で外へ出かけた際、道路近くにある家の玄関横に、エアコンの室外機が置かれているのに気がつきました。雪の被害にあわないよう、全体が透明のビニールでしっかり覆われてです。察するに、暖房ではなく、クーラー用として使われているもの。物などを長持ちさせるには、少々面倒でも、やはり手をかける必要が。
 そこから、少し進んだ道路沿いにある塀の内側、大きな木にアルミ製の長いはしごが立てかけられていました。近くに人の姿は見あたらず、降り始めた雪のため慌てて家へ戻ったのかも。寒い中、外作業で無理をして体でも壊したら、本末転倒。自分の身体は、心配しすぎぐらいがちょうどよく、しっかり自分で守らねば。
 さて、こんな寒さぐらいどうってこと、と若い頃の気分が抜けず薄着でいた結果、鼻水が出て使用済みのティッシュの山を作り始めたこの身、誰かさんから「ほら。みたことか」と言われる前、厚手の肌着をもう1枚。



No.18  2016(平成28)年11月20日発行『寿楽苑だより』84号掲載
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 昼休み時間に外へ出かけた時、反対側車線の車の運転席から、こちらへ向かって会釈をする人がいるでは。目を細めて見ると、つい先日ボランティア活動をしてくださった女性で、慌てて片手を上げ返礼です。昼食を自宅でとるため職場から家へ行く途中だったようで、明るく元気な笑顔が、とても素敵だなと。
 公共施設の前へさしかかった時、生け垣の前、竹ほうきを持って掃いている男性がいました。白いワイシャツに、灰色のズボン姿。服装からして、施設で働いている事務の人です。白い椿科の花が咲いており、散った花びらなどをきれいにしていたよう。昼の休憩時間が終わるには、まだまだ時間があるというのに。
 さて、仕事が少しでも休憩時間に割り込むと、途端に仏頂面になるこの身、休み時間でさえ仕事に打ち込む人たちの姿勢を見習って、せめて時間内だけでも、誰からも後ろ指をさされないよう努めねば。



No.17  2016(平成28)年9月20日発行『寿楽苑だより』83号掲載
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 昼休みに外出した時、家の前、コンクリートで段差になっている角に腰掛け、おにぎりを食べている高齢の女性が目に入りました。笠をかぶり、花柄模様のブラウスに、黒い腕抜きをしてです。雨がパラパラ降っており本降りになる前、慌てて畑から戻ってのお昼かも。着替える前、たまには玄関先での食事も悪くは。
 信号近くで、向こうからオートバイがやって来ました。見ると、ハンドルから手を放し、ヘルメットのあご紐にさわっているでは。それも、両手でです。自転車じゃあるまいし、どんなに慣れてても両手を離してオートバイを運転するとは言語道断。もし、事故になれば大けが。まさか、そんなことも分からない人が運転など。
 さて、誰かさんの悪い点なら針の穴ぐらいでもすぐ気づくのに、自分のこととなると途端に目が曇り良い点しか分からなくなるこの身、他人のことを言う前、まずは自分を厳しく律することから始めるか。



No.16  2016(平成28)年7月20日発行『寿楽苑だより』82号掲載
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 昼休みに車で出かけた際、道路の所々に石灰のようなものが撒かれているのに気がつきました。見ると、アスファルトがひび割れている場所の目印のようで、補修するため。おそらく、関係者が定期的に巡回し確認しているのでしょう。雨風や日光にさらされ、重い車に踏みつけられていれば、痛むのも当たり前か。
 そこからしばらく進んだ道路のすぐ横、新築基礎工事の始まっている家で、2人の男性が白いホースを手で伸ばしながらの作業です。堅そうなホースが下に敷き詰められており、あれが床下冷暖房とやらかも。新しいことについて行くのがやっとの勉強嫌いとしては、日進月歩の社会から、もう随分遅れて。
 さて、さしたる努力もせず、楽をすることばかり考えている厚顔なこの身、暑い中、黙々と働いている人たちのことに思いを馳せ、少々の暑さぐらいで泣き言など言わず、体と頭を使ってたっぷり汗を流さねば。



No.15  2016(平成28)年5月20日発行『寿楽苑だより』81号掲載
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 昼休み時間に外へ出た時、道路横にある家の庭で小さなビニールシートを敷き、坐って草取りをしている高齢の女性がいました。つばの広い麦わら帽に肘までの長い手袋、直射日光を避けるため万全の備えです。昔、黒く日焼けしているのが健康の証だったもの。それが、今では。
 そこから少し先、改修工事で覆われていた家のシートが、はずされていました。工事が始まって随分経つのですが、そこには、まるで見違えるような家が出現。見る限り玄関や壁など全てが新しくなっており、あれならきっと、どの部屋も冷暖房対策がなされているのだろうなと。
 さて、古い扇風機がまだ大活躍している家にいて、人間中身が大事だから外見なんてどうでも、と着た切り雀を通してきたのに、薄っぺらな中身にようやく気づいたこの身、これからはせめて外見だけでも。



No.14  2016(平成28)年3月20日発行『寿楽苑だより』80号掲載
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 昼休みに外出し、車で職場へ戻る途中、少し背中の曲がった高齢の女性が、田んぼの畔で何かを撒いていました。少し古そうな肥料袋が足下に置いてあり、どうやらそれを小分けしながらです。横の道路に、大人用の三輪車が止めてあり、あれで肥料袋を運んできたのだろうなと。
 道路沿いの家の前、こちらも高齢女性がいるのに目が止まりました。淡い緑色の割烹着に、アルミ製の手鍋を持ってです。おかずなどを作り、近所の家へ届けた帰りか。割烹着とおすそわけが残っている社会っていいなと。次代へ伝えたいもの、いくつかあります。おしゃべりが過ぎるこの口から言うより、汗を流し黙々と働いている高齢者の姿を見てれば、それが何かは。



No.13  2016(平成28)年1月20日発行『寿楽苑だより』79号掲載
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 昼休み時間に車で出かけた時、道路すぐ横にある用水の真上に、カメラが設置されているのに気がつきました。大雨などの非常時、流れる水の量などを把握するためには、リアルタイムでの監視が必要になります。平時から、こんな身近で、災害に備えた準備がなされていることに、うんうんと頷きながら感心。
 そこから少し進んだ所で、左側の道路から飛び出そうとした白い高級車が急停止。見ると、運転席の男性、右手に携帯電話を持って話し中です。電話をしながらの運転は、あれほどダメと言われているのに、どうしてまた。私のオンボロ軽四車、車の価格ではあの高級車と比較にならずとも、常識という点であの車の運転手よりは。おっと。他人のことをとやかく言ってると、この身のボロが、あちこちから飛び出して。



No.12  2016(平成27)年11月20日発行『寿楽苑だより』78号掲載
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 昼休み時間に車で出かけた時、道路側にある家の前を、竹ほうきで掃いている女性がいました。顔全体をすっぽり覆うような帽子をかぶってでです。落ち葉がたまっていたようで、ほうきをバットのように持ち、横へなでるように。そのほうき、穂先部分が半分ぐらいまで短くなって。あれだけ使えば、ほうきも本望か。
 少し先にある空き地に、宅配便の車が停車中。運転席では若い男性が、遅めの昼食です。手にしていたのは菓子パン。体を使う仕事ですから、腹にたまる物がいいはずですが、それは余計なお世話か。太っ腹ではなく、腹周りに脂肪が目立つこの体、たまには家の掃除でも手伝って、誰かさんの機嫌を取るのも。



No.11  2016(平成27)年9月20日発行『寿楽苑だより』77号掲載
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 車で外出した時、コンバインを積んだ大型トラックが目の前をゆっくり。後ろについたのですが速度を上げる気配なし。速度計を見ると制限40キロのところを約30キロです。追い越し禁止区間のためイライラしながら運転していると、トラックはしばらくしてようやく左側に停車。
 わずか1キロほどでしたが、そんな距離さえ我慢できない小人物の私だったことを再認識です。
 少し進むと、対向車線側に一台の車が停車。それも道路のど真ん中にです。どんな理由があるにせよ、道路に止めるのはまずいよなと。おっと、あなたは誰かを批判できるほど清廉潔白なのかと問われた時、はいとは言えぬこの身、せめて運転の時ぐらい後ろ指をさされぬように。



No.10  2016(平成27)年7月20日発行『寿楽苑だより』76号掲載
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 昼時間に出かけた時、道路すぐ横に車が止められているのが目に入りました。見ると、若い運転手が、運転席前のダッシュボードの上に両足を。車のエンジン音が聞こえ、クーラーをつけたまま昼寝の真っ最中だったようです。近くに使い込んだ草刈り機と、草の山が置かれたままでしたから、まだ作業の途中。
 暑い日にクーラーではなく、扇風機で涼んでいた随分昔のことです。床の間の横に背の低い扇風機が置いてあり、外から汗まみれで帰ってくると、扇風機の前へ行き顔をつき出し風を独り占めにしてたもの。
 今の時期、熱中症予防のため冷房機器は必需品のようで。そう言えば、最近、あなたは必要な人ですね、と口にすることはあっても言われた覚えが。私の場合、この夏も汗を流すことを厭わず頑張らねばか。



No.9  2016(平成27)年5月20日発行『寿楽苑だより』75号掲載
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 通勤途中、道路近くにある家の前に、自転車2台置いてあるのが目に入りました。その自転車は、小さな子供たちが乗るもので、色は青とピンク。あの自転車を元気に乗り回している姿が、目に浮かぶよう。
 しばらく進むと、公共施設の駐車場に、大人用の三輪自転車が置かれていました。後部にカゴがあり、物をたくさん載せても転ばず運転できる自転車なので、高齢の女性に人気があるタイプです。
 昔、子供の頃家にあった自転車は、もちろん大人用。ペダルに足が届かないため、フレームの間から足を入れた三角乗り。乗りこなせるまで、手や膝などに擦り傷をつくりながら練習をしたものです。最近、すぐあきらめること多い気がするこの身。さて、もう一度あの頃のがむしゃらを思い起こさねばならないか。



No.8  2016(平成27)年3月27日発行『寿楽苑だより』74号掲載
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 通勤途中、道路側にある家の、郵便受けに目が止まりました。昔の郵便受けは、どれも赤色だったもの。ところが、最近は、灰色や黒っぽい色のものまで様々。形も、長方形だけではなく、半円筒形のものまであるようです。実用性や個人の好みの変化などから、現在の形や色に変わってきたのでしょう。
 そう言えば、大きくて真っ赤な郵便ポストも、以前は丸い形だったのですが、今、目に入るのは箱形。
 最近、手紙やハガキに比べ、携帯画面の文字を見る機会が多くなっています。着信を音で知らせてくれますし、便利なのは間違いなし。でも、手書きの手紙からは、絵文字などを使わなくても書き手の心が直に伝わってきてたもの。さて、何年も会ってないあの人へ、下手な字で久し振りにご無沙汰の手紙でも。



No.7  2016(平成27)年1月27日発行『寿楽苑だより』73号掲載
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 通勤途中、道路沿いある敷地に植えてある柿の木に、橙色した柿がたわわに実っています。もちろん熟した柿なのですが、この時期になっても残っているとはめずらしいこと。根本付近に雪が積み上げられており、それが影響しているせいか。周りが雪で白い中、柿の実の橙色だけが、やけに眩しく見えます。
 昔、砂糖に飢えていた時代、甘い物といえば柿などの果物だけ。今、お店へ行けば、いつでもお菓子やケーキなどが手に入ります。でも、おいしいと感じるのは、あの頃の果物の方だったような。
 あの頃に比べると、今は、周りに品物や食べ物などが満ちあふれている時代です。お金さえ出せば、いつでも、どんな物でも手に入りますが、まさか、感謝の気持ちまで、どこかへ置き忘れてきたようなことは。



No.6  2014(平成26)年11月27日発行『寿楽苑だより』72号掲載
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 探し物があり、職場の書庫へ入った時のことです。棚の隅に、ステンレス製の灰皿が重ねて置いてありました。使われなくなって随分日が経つのでしょう、少々くたびれた感じで。
 以前でしたら、会議の時は、机の上に灰皿を準備しておくのが職員の仕事の一つだったもの。今、会議で灰皿をなどと言おうものなら、苦情が出るのは間違いなし。喫煙者にとっては、冷たく厳しい時代を迎えているようです。あのステンレス製の灰皿、次に使うのは、いったいいつになることやら。
 朝晩冷え込みが厳しくなっており、見栄えは悪くても、厚手の下着や重ね着などでこの寒さを乗り切らねば。いえいえ。私の場合、中身が薄っぺらい分せめて外見だけでもきれいしておかねばの口だったか。



No.5  2014(平成26)年9月27日発行『寿楽苑だより』71号掲載
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 出勤の時、上り坂を登り切ったところで、女性が自転車を押しながら歩いていました。つばの広い麦わら帽をかぶり、模様のある割烹着と腕抜きで、見るからにこれから農作業へ出かけますという格好です。
 あの坂は、自転車だと中学校の生徒でも息が切れ、途中で降りてしまうところ。そんな坂道の先で見かけたのは、背中の曲がった80歳代の女性。自転車の前カゴに荷物を入れ、田んぼか畑へ行く途中だったのでしょう。働くことが美徳。そんな世代の人たちですから、少々ことでも、大変だと感じないようです。
 歩くのが大変だからと、短い距離でも車を利用。おまけに、口は余計なほど動くくせに体がさっぱり動かない私などを見ると、あの女性、天を仰いで嘆くかも。さて、ここは心を入れ替え、せめて歩くことから。



No.4  2014(平成26)年7月27日発行『寿楽苑だより』70号掲載
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 通勤の時、交差点で、県外ナンバーの車が停車していました。その交差点は、運転手にすると、ちょっと悩む所。変則十字路で、信号機が、手前横断歩道の上と、左斜め5mほど先にもあるからです。県外ナンバーの車、信号が青になっていたので、左へ。そして、5m先の信号が赤になっており、そこで停車。
 実は、停車した場所は、交差点のど真ん中。赤の信号は、別の道路用で、間違え止まってしまうことがあり、実は私もその一人。以前、同じ場所で停車し、後ろからの車に警笛を鳴らされ、慌てたことが。
 県外ナンバーの車に、そこで止まったらだめですよと教えたかったのですが、信号が変わって。困っている人を見かけたら声をかけて、とあれだけ言われたのに、またその機会を失うことに。さて、この次こそは。



No.3  2014(平成26)年5月27日発行『寿楽苑だより』69号掲載
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 金曜の午後、ボランティアさんの協力を得て、臨時の喫茶を開店した時のことです。ロビーのカウンター片隅に、カセットレコーダーを準備し、昭和10〜20年代のなつメロを、BGM代わりに流していました。
 すると、コーヒーを前にした入居者様が、流れていた曲に合わせ一緒に歌い始めたのです。三番目の歌詞までしっかり覚えておられ、「これは映画の主題歌で、紡績で働いていた時、駅前の映画館で友達と一緒に見たがよ」と懐かしそうに。楽しかった思い出は、何十年経っても忘れられないようで、その時のことが次々。一杯のコーヒーで、楽しい時間を過ごせる寿楽苑喫茶は、なかなかなものだと、再認識を。



No.2  2014(平成26)年3月27日発行『寿楽苑だより』68号掲載
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 探し物で、職場の書庫へ行った時、風呂敷に包まれた、漆塗りの御膳が保管されているのに目が止まりました。脚の長い立派な御膳で、あれは何か特別な時に使われたものなのでしょう。
 昔、家で、冠婚葬祭があると、朱塗りの御膳が並べられていたのを覚えています。湯気の立ち上る台所では、白い割烹着姿の女性が慌ただしく料理の支度を。あの頃、食事といえば、畳の上で正座し、食事中はおしゃべり禁止。時々、兄弟とクスクス笑い声を上げて叱られたものですが。食事が終わると両手を合わせ大きな声で「ごちそうさまでした」。言われなくても感謝の気持ちは、きちんと表していたもの。さて、今は。



No.1  2014(平成26)年1月27日発行『寿楽苑だより』67号掲載
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 雪が降り続いていた、ある朝のこと。午前8時過ぎだというのに、どの車も前照灯を点けて運転をしている日でした。道路のあちこちに、消雪装置からの水が溜まった状態。そこを、対向車が速度を落とさず進んできたのです。その車に跳ねられた雪交じりの水が、バシャッとこちらのフロントガラスに。一瞬、前が見えなくなり、慌ててワイパーを操作。いくら急いでいるからとはいえ、人の迷惑になることは、なんだか。
  一人ひとりが、ほんの少しだけ気を遣うようになれば、みんな笑顔で暮らせる社会になるはずです。私一人ぐらいではなく、私一人だけでもの気持ちを忘れずにいたいもの。さて、人に言う前、まずは、自分からか。



舟見寿楽苑のホームページ『寿楽苑だより』をご覧いただけます



本波 隆(ほんなみ たかし)

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