「新おすそわけ」

本波 隆(ほんなみ たかし)が、2013(平成25)年1月23日から、このページのため、新たに書いたコラムです。さて、いつまで続くか。。。。


No.48(320) 「お椀」   2013(平成25)年3月12日
_
 今日は、大勢が、家へ集まる行事。
 かまんどで、鍋や釜がグツグツ。
 台所では、親戚の人などが、白い割烹着で、お手伝い。
 きれいな模様の皿などが、山のように積み重ねられ、ご飯とおつゆは、朱色のお椀で。
 一人ずつ、真っ赤な御前を準備。あれは、今日のためにと、特別に蔵の中から出したもの。
 料理が出来あがると、順番に盛りつけ。向こうの方で「これ、入っとらんよ」と大きな声。
 台所は、まるで戦場のような忙しさ。
 その日は、おまけに、お酒まで。銚子が、温めたそばから、どんどん運ばれ、一升瓶が、すぐ空っぽに。
 座敷の方から、賑やかな声が、台所まで響いてました。
 心に響くことって、そう簡単には。でも、「ボランティア」。やれば、きっと、温かくて、わくわくする優しさが、直接心に。



No.47(319) 「電車」   2013(平成25)年3月11日
_
 今日は、いよいよ都会へ旅立つ日。
 着ていたのは、詰め襟の学生服。
 テーブルに用意してあった、白いハンカチをポケットへ。
 手には、着替えなどが詰まった、大きなバック。足元は、靴墨で、ピカピカに磨いた靴。
 家族が、揃って玄関先まで見送りです。目に涙を溜めながら、「体に、気ーつけて」って。
 目をそらし、ぶっきらぼうに「分かったちゃ」。
 しばらく歩いて振り返ると、まだ、家の前に立ったまま。それを見て、急に胸が熱くなって。
 駅のホームで待っていると、遠くの方から、電車の近づく音。
 見上げると、真っ青な空。そして、一面真っ白な雪。それが、やけに、目にまぶしくて。
 どうやら、目より、心に届くことの方が多いようです。  そう、「ボランティア」。やれば、きっと、忘れかけていた、人を思う優しさと満面の笑顔が。



No.46(318) 「旧正月」   2013(平成25)年3月10日
_
 「今日は、旧正月やさかい」。
 年寄りに言われて、どうして、今ごろ正月なのかと、不思議に。
 あれは、昔のしきたりが、まだ色濃く残っていた時代。
 その日の夕食、彩りも鮮やかな、煮染めなどが食卓に並んで。
 なんだか、本当のお正月より、ご馳走が多かったよう。もちろん、神棚や仏壇にも、お供えを。
 でも、お年玉は、もらえないため、子どもたちにとっては、特に嬉しい日では。
 いつ頃から、旧正月のお祝いをしなくなったのでしょう。
 洗濯機や冷蔵庫などの電化製品が、充実し始めた頃かも。
 昔から大事にしていた習慣、これまで、どれだけ消えていったことか。一度消えると、復活は、もう無理なのに。
 無理かどうかは、やってみなければ分かりません。そう、「ボランティア」。やれば、きっと、笑顔と優しい心を思い出すかも。



No.45(317) 「書き初め」   2013(平成25)年3月9日
_
 まず、古新聞を、何枚も準備。
 墨で畳が汚れないよう、大きく広げます。次は、すずりに、少し水を入れ、ゴシゴシと墨づくり。
 あの墨にも、高価な物があるのだとか。家で使っていたのは、もちろん下の部類。
 墨にお金をかけるより、腕を磨く方が先。それは、自分自身が、一番よく分かっていたこと。
 筆に、墨をたっぷり含ませ、手本を見ながら、ゆっくり。
 ところが、何回書いても、思ったようには。しまいに、いつもの、めちゃくちゃ流。
 書き初め大会当日、同級生と揃って講堂へ。長い用紙に向かい、緊張しながら一文字ずつ。
 家での練習のお陰で、少しは上達したかも。でも、出来栄えは、決して褒められたものでは。
 褒められることなんて考えず、一所懸命に。そう、「ボランティア」。やれば、きっと、心に、優しさの三文字がくっきりと。



No.44(316) 「社会鍋」   2013(平成25)年3月8日
_
 午後、出かけた先の、大きな駅。
 階段の側に、制服のようなコートを着た人たちが、何人か。
 横に並び、通行人に向かって、「お願いしまーす」の声。
 側には、三脚に、鎖で下げられた、黒くて大きな鍋。
 あれは、確か、社会鍋とか。
 でも、ほとんどの人は立ち止まらず、横目で見ながら、通り過ぎるだけ。
 スピーカーからは、賑やかなクリスマスの曲が流れてました。
 夕方、用事を済ませて戻ると、同じ場所に、まだ立ち続けて。
 鍋を見ると、中には、千円札が何枚か。冷たい風の吹く寒い中、寄付してくださる、優しい人があったよう。
 自分のためでなく、困っている誰かのために。そんな心って、自然に伝わるようです。
 心だけではダメ、動かなければ。そう、「ボランティア」。やれば、きっと、優しさが形に。



No.43(315) 「竹ぼうき」   2013(平成25)年3月7日
_
 強い風のせいか、裏庭が、落ち葉でいっぱい。
 地面には、スンバや、ケヤキなどの葉っぱ。
 それを、こまざらいでかき集め、何カ所かに山積みです。
 残った葉っぱは、竹ぼうきを使い、サ、サッ。
 でも、それが、なかなかうまく行かず、葉っぱが、あちこちへ、ヒラヒラと。
 竹ぼうきを、使ったことがあるかどうかは、見てすぐに分かりました。
 めったにやらない人は、ただただ力任せ。
 それに引き換え、慣れてる人は、力を入れず、簡単そうに。その姿も、きれいなもの。
 ほうきの使い方にも、経験があるのと無いのでは、大違い。
 そう、「ボランティア」。やれば、きっと、心にくっついていた古いゴミが取れて、きれいに。



No.42(314) 「立ち食い」   2013(平成25)年3月6日
_
 「けなるそうな顔、せられんな」。
 家族が、耳元へ、ささやくように、小さな声で。
 家族で、外出した時のこと。向こうの方で、誰かが、お菓子を、おいしそうにムシャムシャ。
 それを、口を開け、じーっと見ていた時のことでした。
 あれは、つい、目がそっちの方を向いていただけなのに。
 言われて、帽子をかぶり直し、下を向きながら、座った椅子で、足をブラブラ。
 なんだか、お腹が空いてきて、いつもの元気が、どこへやら。
 あの後、おいしいものを、買ったのに、家まで我慢して帰ったことを、覚えています。
 今のように、物を食べながら歩くなんて、絶対に。
 人に見られて恥ずかしいことは、やらない。そんな意識、みんな持っていたはずなのですが。
 恥ずかしいことなんて。そう、「ボランティア」。やれば、きっと、心は充実感でいっぱいに。



No.41(313) 「押しボタン」   2013(平成25)年3月5日
_
 「あれっ。どうしたがいろ」
 手元を、よく見ると、押すボタンの、場所違い。
 考えてみると、毎日、どれだけボタンを押していることか。
 頭に浮かんだものだけでも、炊飯ジャー、お風呂、電子レンジ、洗濯機、テレビなどなど。
 押し間違いで、簡単なものはいいのですが、ちょっと難しくなると、もうダメ。
 説明書を、読めば分かるのに、どこへ保管したのか、すっかり。
 探すのが面倒なのと、説明書の、細かな字を見るのが嫌。
 だから、電源を切って、また最初からやり直しです。
 人間が、ボタンを使っているのではなく、なんだか、ボタンに使われているよう。
 もしかすると、ボタンを人に向け、なんて時代が来るかも。
 いえいえ。時代が流れても、変わらないでもらいたいものが。そう、「ボランティア」やる、優しい心と、明るい笑顔。



No.40(312) 「ネクタイ」   2013(平成25)年3月4日
_
 「似合っとるかな」。
 朝、出かける前に頭を悩ませる、ネクタイ選び。
 迷った末、いつものやつに、また手が。
 昔、幅が、今の倍ぐらいのものを、買った覚えがあります。
 逆に、とても細いネクタイを、手に入れたことも。
 ネクタイの幅、時代によって広くなったり、細くなったりしているような。
 我が家の洋服タンスには、何かの時に使おうと、大事にとってあるネクタイ。
 買った時は、どれも、少し高かったのに。
 結局、ほとんど使わずじまいで、柄は、もう時代遅れ。だから、恐らく二度とは。
 たまに、タンスの中を、整理してみましょうか。もしかすると、宝が埋もれたままに。
 宝なんて、期待してはダメ。でも、「ボランティア」。やれば、きっと、どこかに置き忘れていた、優しい心が頭を出すかも。



No.39(311) 「知識」   2013(平成25)年3月3日
_
 「こうすりゃ、いいねか」。
 どうしたらいいのか、分からず困っていた時、隣から助言の声。
 言われて「そうやったがか」と、自然に笑顔。
 聞けば、何で、あんなに悩んでいたのか、嘘のようです。
 時には、自分だけで、いくら考えても分からないことが。
 そんな時、誰かに尋ねればいいのに、それがなかなか。
 どうしてもダメな時は、知ってる人の、力を借りるべき。
 一人で悩み続けるより、聞いて、解決した方が、いいに決まってますから。
 もちろん、解決の努力をせず、安易に、誰かを頼るのは、いけませんが。
 自分だけの頭だと、すぐに限界。それを補うために、普段からの勉強が、必要かも。
 勉強なんて無用。そう、「ボランティア」。やれば、きっと、深い知識が、自然に身について。



No.37(309) 「待ち合わせ」   2013(平成25)年3月1日
_
 時計を見ると、約束の時間に、10分遅れ。
 もう、ゆっくり、歩いている場合ではありません。
 額から流れ出る汗を手で拭き、息を切らせながら、走って約束の場所へ。
 頭に浮かんだ、遅れた理由は、いつも、誰かのせいばかり。
 あの電話さえ、かかって来なければ。あの時間に、あの人さえ訪ねて来なければ。あの信号さえ、赤になっていなければ。
 いえいえ。少し早めに準備していれば、約束の時間には、十分間に合ったはずなのですが。
 どうせなら、誰かを待たせるより、待つ側に回った方が、精神的にも、いいような。
 しかし、自分のことを棚に上げ、なんでも、他のせいにするなんて、とんでもない。
 いいことは、誰かのお陰。悪いのは、自分の努力が足りないから。「ボランティア」。やれば、きっと、それに気がつくかも。



No.36(308) 「亀の子タワシ」   2013(平成25)年2月28日
_
 30Wの裸電球が下がった、台所の洗い場。
 夕食の後、使った鍋や、汚れた茶碗などが、山のように。
 家族が、白い割烹着の袖をたくし上げ、「さて。ちゃちゃと、片付けにゃ」。
 手に取ったのは、こげ茶色した、亀の子タワシ。あれは、シュロの毛で作ったもの。
 言われて見れば、なるほど亀の子の姿に、似てたかも。
 あの亀の子タワシ、随分、長く使い込んでいた覚えが。
 釜にこびりついた、ご飯などは、割と簡単に取れましたっけ。
 でも、シュロの間に、白いごはん粒が残っていたことも。
 今、台所で使っているのは、軟らかなスポンジ。色も、黄色や青など、とてもあざやか。
 食器の汚れ、今の方があるはずなのに、短時間できれいに。
 そう、たまに、心を洗ってみるのも。「ボランティア」。やれば、きっと、純な心が戻って。






本波 隆(ほんなみ たかし)

前のページに戻ります
トップページに行きます