『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.232 「洗濯機」   2007(平成19)年12月1日『福祉くろべ』掲載
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 洗濯するとき、準備したのは、たらいと洗濯板。それに、もちろん洗濯用石鹸です。
 粉石鹸を使うようになったのは、あれからずーっと後のこと。
 白い割烹着に、頭は手ぬぐいで姉さんかぶり。
 寒い時、たらいに手を入れると、思わず口から「あー、つべたぃ」。
 濡れないよう袖をめくり、力を入れてゴシゴシ洗いました。
 我が家へ洗濯機が来た日です。電源を入れ、動き始めた洗濯機の中の渦を、夢中で見ていた覚えがあります。
 そうそう、ローラーで絞るのがおもしろく、自分から「やるちゃ、やるちゃ」と。
 今は、全自動で乾燥までやってくれる洗濯機があるとか。考えると、いい時代になったものです。
 でも、機械任せは、まだまだ無理なボランティア。やれば、心についた汚れが、少しはとれるかも。



No.231 「綿入れ」   2007(平成19)年11月1日『福祉くろべ』掲載
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 寒くなってくると、押入にしまってあった、綿入れの出番です。
 「出しといたちゃ」と言われ手にとると、なんだかずっしり。
 柄は格子で、色は紺や青が多かったような気がします。
 前で結ぶ紐は、綿入れと同じ布で作られており、黒の襟がついているのもありました。
 綿入れを着てこたつに入り、横になっていると、ついウトウト。
 ラジオの大きな音に驚き、目を覚ますと、いつの間にか、首にじっとり汗をかいていました。
 あれを着ただけで、背中が暖かくなり、まるで南国へ行ったよう。そうそう、あれは、はんてんとも、言いましたっけ。
 ファッションで、薄着も悪くありません。けれども、健康のためには、暖かい方がいいようです。
 ボランティア、やれば体が温まることだって。でも、それ以上に、きっと、心のどこかがポカポカと



No.230 「肩たたき」   2007(平成19)年10月1日『福祉くろべ』掲載
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 大きな声で「おーい、背中たのむちゃ」。遊んでいたのに、呼ばれて渋々部屋の中へ。
 最初は、後ろへ回り、手で肩をトントントン。力いっぱいたたいても、「まだまだ」。
 肩が終わると、次は、背中踏みです。壁に手をつき体を支えながら、足をそーっと腹這いになった、背中へ。
 まず、腰。そして、肩から足の方へ、ゆっくり移動します。
 難しかったのは、足の裏。狭い上に、指先を踏まないよう、気をつけて。ところが、踏んでいる途中、「いたたっ」の声。続いて、「あー、気持ちいーっ」。
 あの頃は、痛いのに、どうして気持ちがいいのか、さっぱり分かりませんでした。
 終わると、頭をなでてもらい、笑顔で「かたい子やね、ありがとう」って。
 ボランティア、やっても、頭は、もうをなでてもらえません。でも、代わりに、あの時のような笑顔が、どこかで待っているかも。



No.229 「あめ玉」   2007(平成19)年9月1日『福祉くろべ』掲載
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 「誰にも言われんがよ」と、そーっとポケットの中へ。
 あれは、親戚の家へ行った時、内緒でもらったお小遣いです。
 半分に折った、白封筒の中なら出てきたのは、りっぱな髭の板垣退助。
 あの頃、子どもの小遣いなんて、せいぜい十円単位。お札なんて、とてもじゃないけど、子どもが持てるものではありませんでした。
 もらったお札が、財布の中にあるので、気分はすっかりお金持ち。早速、大好きなあめ玉を買いに行ったものです。
 家へ帰る前、口の周りは、手でしっかり拭いたはず。なのに、帰った途端「こらっ、何食べて来たが」と、大目玉。
 百円札のことを正直に言い、貯金しておいてもらえばよかったと、子ども心に後悔を。
 ボランティア、後悔することなんて、ないはずです。やれば、さわやかな心を、たくさん貯金できるかも



No.228 「自転車」   2007(平成19)年8月1日『福祉くろべ』掲載
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 自転車を乗り回している友だちを見かけると、羨ましくてしかたありませんでした。
 あれは、まだ自転車に乗れなかった子どものころ。
 珍しく自分からやる気になり、「よし、僕だって」。家にあった大人用の自転車を持ち出し、いざ挑戦。
 でも、あの自転車、サドルが高すぎて座れませんでした。そこで、フレームの間から片足を入れた、三角乗り。
 荷台を両手で支えてもらい、ペダルを力まかせに「ヨイショ」。ところが、すぐにバランスを崩し、そのままバタッと地面に。
 何度やっても倒れてばかりで、しまいには、手足が擦り傷だらけになったものです。
 一生懸命練習を繰り返しているうちに、自転車が少しだけ前の方へ。思わず、大きな声で「今、できたが」。
 ボランティア、練習は、それほど必要がないようです。いるのは、ちょっとのやる気と、とっておきの笑顔だけ。



No.227 「影絵」   2007(平成19)年7月1日『福祉くろべ』掲載
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 障子に写った大きな黒い影。キツネがコンコン、犬はワンワン。
 でも、あの鳴き声、本物とは少し違っていたようです。
 あれは、夕食の後、手と指を組み合わせ、電球の光を当てて作っていた影絵。
 片手で、できるキツネは簡単。でも、両手を使う犬は、ちょっと上級編。
 上手になってくると、指で作った耳や口、羽根などを動かす余裕も。そう、どこで覚えたか、箸や紙を使うことだってありました。
 「次は、ぼく」「だめやちゃ、次は、わたしの番なが」。部屋の中は、家族のにぎやかな声でいっぱい。
 テレビやゲームがなかった、あの時代。身近なものを利用し、いろんな遊びをしていたのは、もう、随分前のことになってしまいました。
 どんなものが写るかは、人それぞれ。ボランティア、やれば、心に残る何かが、はっきり見えてくるかも。



No.226 「てるてる坊主」   2007(平成19)年6月1日『福祉くろべ』掲載
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 足を大きく振り上げ、履いていた靴を、ヨイショと遠くへ。飛んだ靴が、ひっくり返ると、明日は雨でした。
 あれは、ラジオから流れる天気予報など聞かなかった子どもの頃。
 明日は、遠足というとき、靴が晴れの形に落ちるまで、何度も何度も飛ばしていたものです。
 でも、そんな時に限って、飛んだ靴は屋根の上。叱られないよう、木のはしごを持ち出し、そーっと屋根へ。手にした棒で、靴を下へ落とすと、ようやく笑顔が戻りました。
 明日、どうしても晴れてもらいたい時は、てるてる坊主の出番。
 教えてもらいながら、一緒に作ったてるてる坊主。家の軒先に吊し、両手を合わせて「どうか、明日は、晴れてください」と。
 さて、てるてる坊主ほど、効果があるかどうかは。そう、ボランティア。やれば、心の中に、青空が広がるかも。



No.225 「クローバー」   2007(平成19)年5月1日『福祉くろべ』掲載
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 田んぼ近く日当たりのいい場所に、まるで緑色のじゅうたん。あれは、一面のクローバーです。
 子どもの頃、誰に教えてもらったのか、四つ葉のクローバーは、幸せを呼ぶと知りました。
 田んぼ仕事が一段落した天気のいい日、家族そろって、四つ葉探しです。
 ところが、いくら探しても見つからず、あきらめかけていた時、三枚の葉っぱに隠れていた四つ葉のクローバー。
 大きな声で「ここに、あったー」。摘み取った後、自慢げに見せびらかして、にっこり。
 そうそう、クローバーは白い花。クローバーの上に座り込み、あの白い花を編み、冠や首飾りを、作ったこともありましたっけ。
 春の日差しと、吹く風が心地よく、時間の経つのを忘れ、夢中になっていたものです。
 さてと、ボランティア。やれば、爽やかな風に乗った小さな幸せが、心の中へ、飛び込んでくるかも。



No.224 「膏薬」   2007(平成19)年4月1日『福祉くろべ』掲載
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 家で、膏薬を使っていたのは、確か昭和三十年代ごろまで。
 あの膏薬は、打撲や肩ころの時など、とても重宝したものです。
 色は、黒っぽく、へらで紙や布に伸ばして使っていた覚えが。
 遊んでいると、奥の方から「手空いとったちゃ、背中に膏薬貼って」と呼ぶ声。
 渡された膏薬を手に取り、言われたように真っ直ぐ貼ったつもりが、随分斜めに。
 貼り終わって気がつくと、いつの間にか指先に黒い薬剤。それが、水で洗ってもなかなか取れず、何度もゴシゴシと。
 今、お店へ行くと、冷やすのや温かくなるのまで、いろんな種類の湿布薬。でも、あの膏薬のように、手が汚れる物なんて、どこにも見あたりません。
 さてと、この春ボランティア。やれば、疲れ気味の心が、スーッと楽になるかも。



No.223 「六十ワット」   2007(平成19)年3月1日『福祉くろべ』掲載
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 昔の明かりは、二股ソケットの電球。光の色は、黄色みがかっており、大きい方は、確か六十ワット。
 スイッチを入れてもつかない時、電球を手でかざすと、電熱線のかけらのようなものが下に。
 手で振ると、カシャカシャッと、小さな音。
 「あれーっ、切れとるちゃー、新しいがこうてきて」と頼まれ、走ってお店へ。
 お店の人から、「落とさんよう、気ーつけて持っていかれ」と言われて、紙袋に入った電球を、両手でしっかり。
 家へ戻り、早速、買ってきた電球をソケットに入れます。
 スイッチを入れた途端、暗かった部屋が、それは明るくてまぶしいくらいに。
 すると、それまで静かだった部屋の中が、急に家族の声でいっぱいになりました。
 さてと、ボランティア。やれば、心にポッと、小さな明かりが灯るかも。



No.222 「貝ボタン」   2007(平成19)年2月1日『福祉くろべ』掲載
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 洋服のボタンは、最近、合成樹脂が主流。
 昔使っていたのは、うっすらと模様が入った、貝ボタンです。
 そのほかに、木や竹製。なかには、陶器でできているものまで。
 そうそう、くるみボタンというのもありました。あれは、ボタンを、布や毛糸などで包んだ、ちょっと手にかかったもの。
 ボタンを無くしたときは、大事にとってある箱の中から、よく似たものを選び出して活用。
 「年やさかい、細かいとこ、見えんちゃ」と針の糸通しは、子どもたちの仕事。
 得意になって糸を通し、針仕事の様子を、側で、じーっと。
 自分で針を使えるようになったのは、その後、しばらく経ってからでした。
 ボランティア、やれば、最近ほつれてきたような心のほころび、また縫えるかも。



No.221 「はかり」   2007(平成19)年1月1日『福祉くろべ』掲載
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 昔、目方を量るのに使っていたのが、棒ばかり。
 行商の魚屋さんが手にしていた棒の部分は、まるで磨かれたようにピカピカ。
 片側は、物を載せるための皿や、引っかけるためのカギ。反対側には、重い分銅。
 分銅の位置を、ちょちょっと動かし、「はい、少しおまけで、百もんめ」。
 あの時代、包装は、新聞紙や竹の皮など。両手で大事に受け取り、家から持ってきた手提げのかごの中へ。
 台所から、トントンと、包丁の音。しばらくして、いい匂いが漂ってくると、待ちきれずに、お腹の虫がグーッ。
 「ご飯のときやさかい、黙って食べよ」と言われても我慢できず、ついおしゃべり。
 さてと、我慢せず、自分にできることをできる範囲で。ボランティア、やれば、新しい自分が、見つかるかも。






本波 隆(ほんなみ たかし)

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