『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.220 「灰ならし」   2006(平成18)年12月1日『福祉くろべ』掲載
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 寒くなると、暖かいのがいいのですね。これからの時期、ストーブやこたつの側から、離れられなくなります。
 暖房と言えば、昔は火鉢。瀬戸物や、周りが木で囲まれたものなどがありました。
 火鉢の中、五徳の上には鉄瓶。鉄瓶で、お湯を沸かしていると、フタがチンチンと、音を立てていましたっけ。
 火鉢には、火ばしと、灰ならしがつきもの。 先がギザギザになった、へらのような形をした灰ならし。家族が、火鉢の灰をかきまぜたり、ならしてきれいにしていた姿を覚えています。
 火鉢へ、手をかざしていただけですが、なんだか、とても暖かく感じられました。
 体を暖めるには、火鉢など。ボランティア、やれば、心の中が、ポカポカと温かくなってくるかも。



No.219 「ひょうのう」   2006(平成18)年11月1日『福祉くろべ』掲載
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 なんだか、背中がゾクゾクッ。「あれっ、寒気が」と思ったら、もういけません。その時は、風邪を引いた後。
 しばらくすると、くしゃみは出てくるし、おまけに鼻水まで。どれだけ厚着をしても、寒気が止まりません。
 ところが、布団の中へ入り、しばらくしたころから、ものすごい熱。そうすると、こんどは、逆に熱くて熱くて。
 昔は、そこで、ゴム製ひょうのう(氷まくら)の出番。枕元から下げ、額の上へ置くと、ヒンヤリして気持ちよく、ようやく寝息を。
 朝起きると、待っていたのが、卵と野菜の入った、アツアツのお粥さん。フーフーッと息を吹きかけ、口の中へ入れると、それはおいしくて。
 物やお金も大切です。でも、それより元気が一番。そう、ボランティア、やれば、きっと心も元気に。



No.218 「さか上がり」   2006(平成18)年10月1日『福祉くろべ』掲載
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 グランドの隅にあった鉄棒。最初は、背丈より高い鉄棒にぶら下がり、体を前後にブラブラ。
 次にやったのが、あごを鉄棒の上まであげる懸垂。腕が疲れてくると、体をよじって首を伸ばし「ヨイショ」。
 そうそう、鉄棒といえば、さか上がり。でも、できるまでが一苦労。頭では分かっていたつもりでも、実際にやると、なかなか。
 さか上がりの次は、前方回転や後方回転。コツをつかむまで、一生懸命練習をしたものです。
 途中、なんだか変だと思ったら、手のマメがつぶれた後。
 痛いのを我慢して続け、終わってから、家で赤チンを塗ってもらいましたっけ。我慢もいいのですが、何ごとも、ほどほどがいいかと。
 どうせなら、我慢せず、楽しく続けられるのが一番。そんなボランティア、この秋、ちょっと探して見るのも。



No.217 「ラジオ」   2006(平成18)年9月1日『福祉くろべ』掲載
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 箱の後ろから中を覗くと、真空管が何本も。
 目をこらして見ると、暗いところに真空管の光が浮かんでいました。
 あれは、木で作られた箱形のラジオ受信機。
 笠のある電灯の下、ラジオの近くに家族全員が勢揃い。
 周波数をあわせるのは、子どもたちの特権です。黒いつまみを回すと、ガーガー、ピーピー。しばらくして、ようやくはっきりした音が。
 よく聴いたのが、落語や浪曲など。相撲放送の時には、思わず身を乗り出すほどでした。  それと、欠かさなかったのが連続ドラマです。
 ドラマが佳境に入り、さてこれから、という場面になると、どうしてだか来週へ続く。
 聴いていた家族から、「えーっ」という声。
 次が待ち遠しいのは、悪くないようです。ボランティア、やれば、待ち遠しくなるような何かが、見つかるかも。



No.216 「缶けり」   2006(平成18)年8月1日『福祉くろべ』掲載
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 子どもたち、今は夏休み。宿題を後に回して、遊ぶのに夢中。時間は、いくらあっても、足りないようです。
 昔、遊びといえば、身近にある物を使ったのが主流。石ころ、釘や針金、木の枝など周りにある物なら何でも。
 そうそう、缶詰の空き缶だって遊び道具の一つ。よくやったのが、缶けりです。
 思いっきりけっ飛ばしますから、しまいには、空き缶がデコボコに。それを、たたいて直し、何度も使っていました。
 どうしてだか、夕方、暗くなるころから、余計おもしろくなってくるのです。
 いよいよこれから、という時に限って、家のの方から「ご飯できたよー」と呼ぶ声が。
 でも、誰かが待っているのは、うれしいものです。さてと、ボランティア。どこかの誰かが、ここから行くのを、待っているかも。



No.215 「ところてん」   2006(平成18)年7月1日『福祉くろべ』掲載
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 暑くなってくると、なぜだか食べたくなるのが、ところてん。
 冷蔵庫が、まだ普通の家には、出回っていなかったころのことです。
 冷やしてあった、ところてんの固まりを、水の中から取り出します。
 それを、縦長の箱の中へ入れ、上の方から木の棒で突くと、一瞬で細くて長いところてんに。
 器は、模様の入ったガラス製の小鉢。手に持つと、ずっしり重く感じました。
 残った、甘酸っぱいつゆがおいしくて、小鉢に口をつけ、そのままゴクゴク。慌てて飲み、むせたことが、何度もありましたっけ。
 そんなに慌てることはありません。ボランティア、この夏、時間をかけて、やれること、やりたいことを探すのも。



No.214 「ポスト」   2006(平成18)年6月1日『福祉くろべ』掲載
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 ポストは、まっ赤なペンキが塗られた、丸い形だと思い込んでいました。
 ところが、気がつくと、いつの間にか、丸い形から四角に変わっています。
 そうそう、子どものころ、自分の背丈より高いところにあった差し入れ口へ、背伸びをして入れていたのを覚えています。
 あれは、めずらしく、自分から言い出してのお手伝い。
 手紙は、パソコンを使う前、辞書を脇に置き、ペンなどで一文字ずつ書いてました。
 ところが、そろそろ書き終えるころ、という ときに限って失敗。そうすると、また最初から書き直し。
 出した手紙に返事がくると、嬉しくて何度も読み返したものです。
 さて、一度やってみましょうか、ボランティア。やれば、心に、温かくなるように返信が、届くかも。



No.213 「苗代」   2006(平成18)年5月1日『福祉くろべ』掲載
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 ビニールハウスの苗は随分育ち、田植えの日が近づいているようです。
 その昔、苗床に種もみをまき、その上を、うす茶色の油紙で覆う、保温折衷苗代というのがありました。
 巻いてある油紙の端を二人で持ち、前へ進みながら苗床の上へ。隙間があかないよう、油紙の両端を、上からしっかり土で押さえたものです。
 あのころは、田植え用の長靴など、無かった時代。素足で、田んぼへ入るのが、当たり前だと思っていました。
 田んぼからあがると、足がドロだらけに。手で、足についたドロをとり、投げ捨てていたのを覚えています。
 あれは、ほ場整備される前の、小さな田んぼだった時のこと。
 最初は無理をせず、小さなことからでいいようです。ボランティア、やれば、心に豊かな稲穂が実るかも。



No.212 「下敷き」   2006(平成18)年4月1日『福祉くろべ』掲載
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 にぎやかな声が、通学路から響いてきます。見ると、まるで、大きなランドセルが、おしゃべりをしながら歩いているよう。
 あれは、ピカピカの一年生。ランドセルの中には、きっと、揃えた文房具が入っているのでしょう。
 文房具といえば、昔使っていたのが、セルロイドの下敷き。ヒーローの絵が印刷されているのを買ってもらうと、それが自慢で鼻高々。
 脇の下でこすり、同級生の髪の毛に近づけて、遊んだことを覚えています。
 そうそう、日食のとき、直接見てはいけないと、下敷き越しに太陽を見たこともありましたっけ。
 ボランティア、見ているだけでは、分かりません。やれば、いつもと、少し違った自分を見つけられるかも。



No.211 「おかず」   2006(平成18)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 「ほっこしょですが」と、いただき物。開けてみると、少しではなく、届けようとわざわざ作った、たくさんのおかず。
 言葉は、そのまま鵜呑みにしてはいけないことって、多いようです。
 手間暇かけて作ったおかず、おいしくないはずがありません。
 しかし、もらってばかりでなく、たまにはお返しをした方が。
 さてと、地域社会へ、何でお返ししましょか。そうそう、それならボランティア。肩の力をちょっと抜き、出来ることから、まず一歩。



No.210 「せっせっせ」   2006(平成18)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 子どもたちの、大きな声が響いていました。歌いながらの手遊び、せっせっせや、おちゃらか。
 歌う速度がゆっくりの時はいいのですが、速くなると、手を動かすのが大変。
 手の動きを間違え、「もう一回、もう一回だけ」って。
 あれは、単純な遊びだから、余計夢中になれたようです。
 ボランティア、もしかすると、そう単純ではないかも知れません。でも、終われば、きっと、心の中に、さわやかな風が。



No.209 「めだか」   2006(平成18)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 田んぼの、基盤整備がされる前のことです。流れてい川には、群れになっためだがの姿が、あちこちに。
 そのめだかをつかまえようと、二人で手ぬぐいの両端を持ち、水の中へ入り、底のほうからそーっと。
 持ち上げた手ぬぐいの中には、何匹ものめだかが。そうそう、めだかより大きな、どべと呼ぶ魚もいました。
 あれは、どこかのんびりしていて、つかまえやすかった魚です。
 山の小さな沢では、石の間から沢ガニが、ゴソゴソ。慌てて、つかもうと出した指をハサミで挟まれ、「痛っ」。あの時の沢ガニの逃げ足、なんと早かったこと。
 急ぎすぎると、見えなくなることがあるようです。たまには立ち止まり、後ろを振り帰ってみるのも。



No.208 「縄とび」   2006(平成18)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 縄とびを、やり始めた頃のことです。友だちで二重跳びのできる子がいました。
 それが、うらやましくてうらやましくて、仕方ありません。
 早く二重跳びができるようにと、夢中で練習をしたものです。
 力いっぱい回していると、耳元で、ヒュンヒュンという音。失敗して、縄がぶつかると、そこが真っ赤に。
 二重跳びができるようになると、次は、二重の連続とび。挑戦したいことが、次々に出てきたものです。
 何人かで一緒にとぶ。縄とびもありました。回している中へ、一人ずつ順番に入るのですが、調子を合わせないと、縄が足に絡んで「あっ、あれーっ」。でも、みんな笑顔でした。
 一度失敗したぐらいで、あきらめるなんて。ましてや、やる前から、できませんなどとは。






本波 隆(ほんなみ たかし)

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