『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.207 「鉛筆削り」   2005(平成17)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 筆記具といえば、今は、シャープペンやボールペンなど。鉛筆や万年筆は、以前のように使わなくなってしまいました。
 鉛筆の先が丸くなると、小刀などで削ったものですが、小さなころは、うまく削るのに一苦労。
 そのうちに出てきたのが、取っ手を手で回す鉛筆削り。
 あれは、小刀と違い、誰にでもきれいに削ることができました。そうそう、下にたまった削り屑を捨て忘れ、どうして削れないのだろうと、慌てたことが何度も。
 その後は、電動鉛筆削り。鉛筆を入れると、あっという間に削ってくれます。短くなった鉛筆を、簡単に捨てるようになったのは、確かあの頃から。
 ボランティア、やれば、どこかへ捨てたままになっていた優しい心を、また拾えるかも。



No.206 「包装用ひも」   2005(平成17)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 最近少なくなってきたようですが、贈答用の菓子箱などは、ひもで結んでありました。
 あのひもを捨てるのが、もったいないと、大事にとっていたのは、いつ頃までだったのでしょう。
 専用の空き箱の中には、何かのときに使おうと、色とりどりの包装用ひもが何本も。
 今は、ひもで結んであっても、はさみで切り、すぐゴミ箱へ。
 ボランティア、捨てるより、手に入るものの方が多いようです。それが何かは、人それぞれ。



No.205 「字引」   2005(平成17)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 字引とは、辞典のこと。文字を引いて調べるため、そう呼ぶようになったのでしょうか。
 あの頃の辞典は、とても細かな文字で印刷され、大きさも一回り小さかったような気がします。
 パソコンを使うようになってから、なんだか、漢字を書けなくなったようです。
 分からない字があると、すぐに調べればいいのですが、それをせず、ついつい変換ミスのまま。
 分からないことや、知らないことは、何かで調べるか、知ってる人へ尋ねるに限ります。
 お互いさまのこの社会。誰かが困っているのを見かけたときは、こちらから「どうされたがですか」って声をかけるのも。



No.204 「たきもん」   2005(平成17)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 昔、かまんどや、風呂の火をおこすのに使っていたのが、たきもん。すんば、だだ、ほい、そして薪など。
 雪が降ってくる前、たきもんを準備しておくのが、大事な仕事でした。
 すんばに火をつけた後は、年期の入ったひー吹き竹の出番。
 先の方の節に、小さな穴が開けてあった、あの竹の筒です。あれは、火吹き竹とも。
 ひー吹き竹を両手に持ち、大きく息を吸って、フーッと吹きます。途端に、ボーッと音をたてて炎が。
 よく乾燥してないすんばなどを使うと、煙がモクモクと。煙が目にしみ、涙がポロポロ出てきたものです。
 悲しい涙は、流したくありません。でも、誰かに感謝され、心にジーンとくる涙なら、いくらだって。



No.203 「ビー玉」   2005(平成17)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 表から、にぎやかな声が聞こえると思ったら、子どもたちが集まって、ビー玉遊び。そんな風景は、ほとんど見かけなくなってしまいました。
 ガラス製品の遊び道具、ビー玉の他には、おはじきなどがありました。
 模様の入ったものや、きれいな色のついたものが手に入ると、すぐ友だちに自慢したものです。
 遊ぶときは、もう夢中。あれだけ夢中になって勉強していれば、今ごろは、さぞ。
 ビー玉やおはじきは、子どもたちにとって、大事な宝物。手に取り、太陽へかざして見ると、キラキラ輝いていました。
 ボランティア、やれば、心にキラッと輝く、自分だけの宝物が見つかるかも。



No.202 「ゆで卵」   2005(平成17)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 卵が貴重品だと思っていたのは、昭和三十年ごろまで。
 あのころ、卵は特別なことがあった時しか、口にすることができませんでした。
 だから、余計おいしく感じたのかも知れません。
 遠足の日の朝、台所に、ゆで卵の準備がしてあるのを見つけると、もううれしくて。
 普段、めったに口しないものでしたから、出かける前から、わくわくです。
 お昼の時間になると、大きな口を開けて、ゆで卵をほおばっていました。 
 そう、ボランティア。やれば、自分の殻が、パリッと、簡単に破れるかも。



No.201 「天秤棒」   2005(平成17)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 棒の両端に荷物をかけ、棒の真ん中あたりを肩にかついで運びます。あれが、天秤棒。
 慣れない人が使うと、荷物がゆらゆら揺れて、まっすぐ歩くことが出来ませんでした。
 荷物が重いときなど、子ども一人では無理。天秤棒の中心に荷物を下げ、棒の前後を二人でそれぞれの肩に。立ち上がる時、両手で天秤棒を持ち、声を合わせて「よっこらしょっ」と。
 仕事が終わって、肩を見ると、棒のあたったところが真っ赤になっていました。
 体と頭は、使わないとだめになるようです。どうやら、私には、少し無理をするぐらいが、ちょうどぐらいか。



No.200 「大豆」   2005(平成17)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 農地整理をする前、田んぼのあぜには、大豆などを植えていました。
 稲刈りのころになると、それも、ちょうど収穫する時期。下に落ちてる大豆を見つけると、もったいないと、拾っていましたっけ。
 稲刈りが終わり、しばらくすると秋祭り。祭りの時は、家で作った大豆や小豆の出番。きな粉や、あんこたっぷりの、おいしいお餅。あれは、格別のごちそうでした。
 今、田んぼのあぜは、コンクリートなどが多いようです。
 ですから、大豆を植えたいと思っても、それは無理なこと。便利になった分、それと引きかけに失ったものがあるようです。
 不思議なもので、心に残るのは、苦労したときのこと。それなら、楽な道より、ちょっと厳しい道を歩いてみるのも。



No.199 「八ミリ」   2005(平成17)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 八ミリ映写機というのがありました。あれは、フィルムの幅が、八ミリだから、そう呼んでいたようです。
 部屋を暗くし、映写幕代わりの白い壁などに写して、見た覚えがあります。
 ところが、今はビデオカメラの時代。
 収録テープや充電用の電池の大きさは、ビデオカメラが出始めたころに比べ、とても小さくなりました。
 カメラ本体も、まるで手のひらに入るような大きさのものまで。
 八ミリを上映すると、集まっていたのは大勢。ビデオを再生するときは、家族のみんながテレビの前に。
 ところが、パソコンで見るときは、ほとんど一人。
 感動は、一人より大勢のときの方が大きいようです。どうせやるなら、仲間といっしょに、ボランティア。



No.198 「荷物運び」   2005(平成17)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 家に車がない時代、田んぼや畑へ物を運んだり、収穫した物を持ってくるのに使っていたのは、リヤカー。
 子どもは危ないからと、後ろから押す役。前のハンドルは、持たせてもらえませんでした。
 行きや帰りの時、荷台に載るのが、また楽しみ。
 荷台からだと、歩いている時とは、何だか、景色が違って見えたものです。
 上り坂になると、いよいよ子どもたちの出番。思いっきり大きな声を張り上げて、力いっぱい押していました。
 力を出すには、一人より大勢が。それなら、誰かと一緒にボランティア、やってみるのも、いいような。



No.197 「歯ブラシ」   2005(平成17)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 合成樹脂製品が出回る前の歯ブラシの柄は、セルロイド。
 ブラシの部分は、茶色っぽい動物の毛でした。今のものと違い、とても柔らか。あれは、豚か馬の毛を使っていたような気がします。
 今のようなチューブ入りの練り歯磨きを使い始めたのは、いつごろからだったのでしょう。
 それまで使っていたのは、歯磨き粉。歯ブラシを水で濡らし、ブラシの部分に真っ白な歯磨き粉をつけて、口の中へ。
 一生懸命磨いた割りには、虫歯がたくさん。あれは、間違いなく甘い物の食べ過ぎでした。
 ボランティア、やっても、過ぎることはないようです。逆に、もっとやりたくなるかも。



No.196 「箕(み)」   2005(平成17)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 豆など穀類の、実と殻を分けるのに使っていたのが、箕。最近、プラスチック製の物も目にしますが、以前は、どれも手で編んだもの。
 細かな手仕事で、材料は藤の皮などだったようです。
 箕の使い方も、慣れた人とそうでない人では、大違い。パタパタと、先の方を軽く振り、殻やゴミだけを落としていきます。
 子どもたちが、真似をしても、下へ落ちるのは、殻と一緒にたくさんの実。これはいけないと、慌てて拾い集めたものです。
 虫の食ったのや、傷んだものは、一粒ずつより分けていました。
 手間と時間をかけて収穫したものですから、簡単に捨てるなど、もったいなくて。
 最近、もったいないが見直されているようです。何でも大事にする。そんな気持ち、いつまでも忘れたくないもの。



No.195 「小川」   2005(平成17)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 ふきのとうが、雪の間から、顔をちょっと。淡い緑色を目にすると、春の息吹を感じます。
 あれだけ寒かった朝晩の冷え込みは、もう、それほどでもありません。
 春は、今年も、すぐ近くまでやってきているようです。
 暖かくなってくると、小川の中へ入り、手ぬぐいを広げて、めだかつかみ。つかんだ後は、そのまま逃がしてやりましたっけ。
 そう言えば、あのめだかや小魚、最近、見かけなくなったような気がします。
 いつの間にか見かけなくなったものって、案外あるのかも知れません。
 実は、それが、とても大切なものだったと、後になってから気がついたりして。
 思いついたら即実行。ボランティア、やれば、きっと、心の中にも春一番が。



No.194 「しょうのう」   2005(平成17)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 タンスの中には、防虫剤。虫に穴をあけられないよう、あれほど注意していたつもりです。
 ところが、つい、うっかりしている間に、やられたことが二度や三度では。
 長い間着ていなかった洋服を出すと、しょうのうの匂いがしっかりと。
 電車に乗り、側へ立つと鼻にツーン。すぐに、この服はタンスから出してきたばかりだと、ばれたものです。
 冬物をしまう時期は、もうすぐ。さて、春物と一緒に、奥へしまったままになっていた、思いやりの心を、そろそろ取り出さねば。



No.193 「チッキ」   2005(平成17)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 荷物を、遠くへ送るのが便利になりました。今日送れば、もう明日には届くのですから。
 昔は、送る荷物を箱に入れ、それを縄でしばるのが一苦労。途中で緩まないよう丁寧にしばったものです。
 そう言えば、チッキというのがありました。あれは、電車や汽車で運搬してもらえた小荷物のこと。
 遠くへ出かけるとき、荷物を手に持たずに済み、下車する駅で受け取れたので、便利だったものです。
 もらいっぱなしのあの人へ、お返しをしようと思いながら、ついつい先延ばし。
 今度、声の便りでも届けましょうか「ご無沙汰しています。元気でおられましたか」って。



No.192 「オブラート」   2005(平成17)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 苦い粉薬は、オブラートに包んでもらっていました。覚えているのは、丸い形の、少し厚手の紙でできた箱に、何枚も重なって。
 手に取ると、向こう側が透けて見える薄さ。間違って濡らすと、くっついて、使えなくなってしまいました。
 箱の中から、そーっと一枚だけ取り出します。真ん中へ粉薬を置き、それを包んで口の中へ。苦い薬でも、オブラートに包むと、簡単に飲めました。
 でも、うっかりすると、オブラートが口の内側にくっつき、何か変な具合。それを、舌で取ろうと口の中をモゴモゴ。どうしても取れないときは、人差し指を入れて、無理矢理に。
 何かに包んだ方がいいものと、そうでないものがあるようです。
 元気なあいさつと優しい心は、何にも包まず、そのまま笑顔を添えるだけ。






本波 隆(ほんなみ たかし)

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