『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.175 「マント」   2003(平成15)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 唐草模様の風呂敷を、マント代わりにして、飛び回っていました。
 手には、丸めた新聞紙。あれは、刀のつもりだったものです。
 その刀で切った時、相手が大げさに倒れてくれれば、最高でした。気分は、まさに映画スター。
 マントと言えば、最近、本当のマントを着ている人を、あまり見かけません。
 真っ黒で長い丈のマント。中から手が出せるよう、切れ目のあるものだって。
 昔は、十二月に入ると、すぐに雪が降ったものです。積もった雪も、中途半端なものではありませんでした。
 冬の間、家の中や外が寒いのは、当たり前だったのですが。
 体は、暖房器具などを使えば、温まります。そう、心を温めるには、ボランティアがいいかも。やれば、きっと、心がポカポカと。



No.174 「シャッポ」   2003(平成15)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 寒い日にかぶる、帽子がありました。目の部分が空き、口と鼻の前はボタンで留めるもの。
 ちょっと厚めの、黒い生地で出来ていたシャッポです。
 あのシャッポをかぶると、耳まで暖かく、雪が降る日などは、とても重宝していました。
 今、いろんな形の帽子をかぶっている人たちを見かけます。あれは、実用よりおしゃれ優先。
 でも、おしゃれをする気持ちって、とても大事なことです。
 そうそう、心のおしゃれは、ボランティアで。今度、自分に似合うもの、探してみましょうか。



No.173 「かいまき」   2003(平成15)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 着物の形をした、ちょっと大きな形の布団がかいまき。綿がたっぷり入り、上に掛けるとずっしり重く感じたものです。
 かいまきだと、肩から首にかけて隙間が空きません。そのため、とても暖かく、朝までぐっすり眠ることができました。
 布団の綿の打ち直しは、定期的に出していたものです。打ち直しから戻ってくると、家族が集合。布団袋の角を合わせ、声を揃えて「ヨイショ」。ひっくり返すと、綿は布団の中に入っていました。
 打ち直した布団は、ふかふか。その布団の上で、ゴロゴロ転がるのが、嬉しくて嬉しくて。
 あの夜は、きっと楽しい夢を見たのでしょう。ボランティア、やれば、いい夢見られるかも。



No.172 「火ばし」   2003(平成15)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 火鉢には、火ばしが欠かせませんでした。子どもの頃、寒い日、火ばしで火鉢の赤い炭をつっついていると、大きな声で「火にさわっとったちゃ、寝小便するがいぞ」って。
 そう言われると、暗示にかかったように、その夜は世界地図。翌朝、濡れた布団を乾かすのが、大変でした。
 昭和三十年代の初め、近くの山で炭焼きが行われていたのを覚えています。山の中腹から、白い煙が、青い空へ向かってモクモクと。
 火鉢は、温風ストーブなどに。そして、炭を使っていたこたつは、電気式に変わってしまいました。
 あれ以来、火ばしの出番はなくなり、どこへしまったか、忘れてしまいました。
 お世話になった品物です。せめて、たまに思い出してあげることぐらい。



No.171 「目立て」   2003(平成15)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 のこぎりの切れが悪くなったため、むしろの上にあぐらをかき、やすりで目立て直しをしていたのを、側で見ていた覚えがあります。
 あれは、コツコツと、手間のかかる仕事。若い人より、年配者の方が得意だったようです。
 今のように、なんでも簡単に手に入らない時代でした。家にある物を大切にし、直せるものは自分たちで。
 お金や物が無かった分、体や時間をかけるのは当然だと思っていました。
 目立て直しが終わると、のこぎりは、まるで新品のような切れ味に。
 汗をかいただけ、結果がきちんと目に見えて現れたものです。
 ボランティア、体や時間をかければ、普段は目に見えない何かが、はっきりと。



No.170 「腕ぬき」   2003(平成15)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 昔、事務所の中で、黒い腕ぬき(腕カバー)をしている人たちを見かけました。両端にゴムが入り、手首から肘ぐらいまでの、ゆったりした筒状のもの。
 あれは、ワイシャツや、ブラウスの袖に、汚れがつくのを防ぐために、使っていたものです。
 ところが、今は事務所で、あの腕ぬきを使っている人、ほとんどいなくなってしまいました。
 でも、よく見ると、畑などで使っている人たちが、あちこちに。
 同じものでも、場所や形を変えれば、大丈夫。
 そう、ボランティアで、違った自分を発見するのも、なかなか名案かと。



No.169 「地下足袋」   2003(平成15)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 外仕事へ行くときは、黒い地下足袋。足の親指のところで二つに分かれ、底はゴム製。
 最近、履いている人を、あまり見かけなくなりました。そういえば、脚絆をしている人だって、ほとんどいないようです。
 昔は、どこへ行くにも、それらしい格好で出かけたものです。
 今は、田んぼへ行くのに、まるで、どこかへお出かけするような格好の人も。
 格好いいとか悪いとかではなく、動きやすく便利で安全だから、使っていたものがあります。
 そんな、先人の知恵、いつまでも残したいものですが。
 さてと、昔使って、どこかへしまったままになっている、あの履き物。今度、探してみることにしましょうか。



No.168 「カメラ」   2003(平成15)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 今、カメラといえば、デジタルカメラや携帯電話。でも、二十年ほど前までは、一眼レフカメラを持つのに憧れていたものです。
 手にずっしりと感じる、あの重さ。絞りやシャッター速度を決めてからピントを合わせ、カシャッ。シャッターを押す音が、またたまりませんでした。
 フィルムは、もちろん手巻きの時代です。
 ところが、出来上がった写真を見ると、安いカメラで撮ったのと、ほとんど変わりません。
 高価なカメラを使えば、いい写真が撮れるだろうと勘違いしていたことに、後で気がつきガッカリ。
 同じお金なら、実のある使い方をしたいのですが、なかなかそうは。



No.167 「よもぎ」   2003(平成15)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 きな粉をまぶした、よもぎの団子。よもぎは、家の近くから摘んできました。
 親の言うことを、なかなか聞かなかった子どもの頃。団子を食べられることを知ると、嬉しくて、言われなくても一生懸命よもぎを探したものです。
 手にしていたのは、よもぎを入れる大きな袋。
 いっぱい摘めばいいものと思い、育ちすぎたよもぎを入れて、「ちゃー、だめやよ」って。
 団子を作る手伝いだって自分から。できあがった団子に、きな粉をまぶして口の中へ。
 アツアツのよもぎ団子は、いくつでもお腹の中へ入っていきました。
 汗を流すと、何かが違うようです。ボランティア、いい汗かけば、きっと気分も爽やかに。



No.166 「つくだ煮」   2003(平成15)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 つくだ煮といえば、鯨。形は、サイコロのような小さな四角。色は焦げ茶で、味はちょっと濃いめ。
 食卓にあると、あれだけでご飯のお代わりができました。
 つくだ煮は、弁当や、おにぎりの中にだって入っていたものです。
 鯨のつくだ煮を買うと、包んでくれたのが、木を紙のように薄く切ったもの。それを、また新聞紙で上から。
 家に帰ると、新聞紙には、つくだ煮からしみ出た茶色い汁がついていました。
 再利用できるものって、たくさんあります。ここのところ、眠ったままになっている優しい心を、ボランティアで、もう一度。



No.165 「キャラメル」   2003(平成15)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 キャラメルや飴。子どもの頃に、知っている人からもらうと、にっこり。「ありがとう」とお礼を言うより前に、手が出たものです。
 欲張って、もらった飴を、二つ同時に口の中へ入れたことも。そうすると、ほっぺたがふくれ、二つ食べていることが、すぐにばれました。
 お店に、バラで売っていた飴玉。黒や茶色、それに線が入ったものなど、おいしそうなものばかり。
 手で、しっかり飴玉を握っていたら、いつの間にか体温でベトベトに。もったいなくて、指の間まで、ペロペロ舐めていましたっけ。
 でも、お礼を言う前に、手を出すのはいけません。まず、感謝の気持ちを込め、大きな声で「ありがとう」って。



No.164 「いりこ」   2003(平成15)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 鼻の先に粉がついても、そんなことはお構いなし。ただただ夢中で、新聞紙で包んだ、いりこを舐めていました。あれは、確か昭和三十年代のこと。
 大麦をいった粉に、砂糖をまぶしたもの。それが、いりこ。口にした時、甘さが口の中へ、一気に広がっていきました。
 世の中、こんなおいしいものは、他にないだろうと思っていたものです。
 いりこを水で溶き、ちょっと混ぜると茶色っぽい色に。あの味も、また格別でした。どちらかと言うと、あれは上品な食べ方だったのかも知れません。
 でも、粉をそのまま舐めるのが、一番だったような気がします。
 なんでも、素直がいいようです。それなら、素直な気持ちで、ボランティア。



No.163 「流し」   2003(平成15)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 以前、台所のことは、流しと呼んでいました。同じ意味でも、キッチンとでは、聞いた感じが、随分違います。
 設備だって、もちろん今とは大違い。あの頃の流しは、コンクリートか、良くてタイル張り。
 流しで作っていた料理は、畑の野菜を使ったものがほとんどだったと思います。
 リヤカーに積んで、売りに来ていたおばちゃんの魚があれば、その日はごちそう。
 肉を口にするなんて、めったにありませんでした。だから、油を使うことも、数えるぐらいだけ。
 釜や食器などの汚れは、灰を使って落としていたものです。それでも、結構きれいになったものですが。
 物の汚れは、何かを使えば落ちるようです。ボランティア、やれば、心の汚れが落ちるかも。



No.162 「冷蔵庫」   2003(平成15)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 テレビが我が家へ来たのは、昭和三十年代の中頃だったでしょうか。見ていた番組に、アメリカのホームドラマがありました。
 見て驚いたのが、冷蔵庫の大きさです。画面には、大人の背丈より高い冷蔵庫。
 そして、中に入っていた、見たこともない食材にもびっくりしたものです。
 今、台所には、あの頃テレビで見たような冷蔵庫が。でも、中に入っているのは、賞味期限が切れそうなものばかり。
 器より中身の方が大事って、本当のようです。優しい心があれば大丈夫。そう、ボランティア。



No.161 「梅干し」   2003(平成15)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 梅干しは、自家製。今でも、そんな家庭が多いようです。使う梅は、庭の梅の木から取ったもの。ときどき、親戚や知人などから、梅を分けてもらったこともありました。
 梅干しの作り方は、家によって多少違うようです。必要なのは、梅、塩、ちそ、かめ。あとは、梅を干すときに使う、ざるぐらいでしょうか。
 でも、いい梅干しを作るには、手間をかけることが一番大事。
 丁寧にもむ。天日で干す。干している途中、梅汁をかける。そんな積み重ねで、善し悪しが決まるようです。手抜きをすれば、結果はてき面に。
 真心と、時間をかけてできた梅干しが、食卓に。そんな時期は、もうすぐのようです。
 今度、梅干しを食べるとき、作った人のことを、少しだけ考えてみるのも。



No.160 「いっちょうら」   2003(平成15)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 そろそろ、衣替えの時期が近づいてきました。タンスの奥にしまっていた、春用の服などを、ぼちぼち出さねばなりません。
 前の年、防虫剤を入れたはずなのに、洋服に穴があいていたことがありました。それも、よりによって、いっちょうら。
 虫は、いっちょうらだと知り、嫌がらせのために、穴をあけたような気がしたものです。
 穴があいた時、簡単な直しは、家にある針と糸で。
 穴が、ちょっと大きく、手に負えないときは、専門のところへ出して修繕。見ただけでは、分からないように直ってきました。
 物がなかった時代のことを思えば、穴があいたぐらいで捨てるなんて、とんでもない。
 さてと、タンスの奥にしまったままになっている、洋服のあの穴、そろそろ繕う準備を。






本波 隆(ほんなみ たかし)

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