『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.143 「炭火」   2001(平成13)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 雪囲いと雪吊り。家によって、冬の仕度が随分違うようです。準備が、まだのところは、そろそろ雪の心配をした方が、いいかも知れません。
 でも、こう寒くなると、暖かいのが一番。火があると、思わず側へ近づいてしまいます。
 昔の暖房は、火鉢とこたつぐらいでした。小さなこたつには、いつも家族が勢揃い。
 こたつへ頭からもぐり込むと、中には真っ赤な炭火が。こたつの上掛けを引っ張りすぎて、叱られたものです。
 あの炭火には、石油ストーブなどと、少しばかり違った暖かさがあったような気がします。
 寒い時は、暖かいのに限ります。ぽかぽかと、人の温かさにふれたくなったら、ボランティア。



No.142 「たが」   2001(平成13)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 木でできた桶や樽、ほとんど見かけなくなってしまいました。
 どうやら、今は、プラスチック製が主流になっているようで、家のあちこちに置いてあります。
 樽と言えば味噌樽。昔は、自分のところで味噌を作っている家が、たくさんあったものです。
 そうそう、味噌を作る準備で、大きな鍋で大豆を煮、手動の機械で砕く前に、ちょっと取り出し口の中へ。
 あの、アツアツの大豆が、とてもおいしく感じられました。
 桶や樽には、たががつきもの。ボランティア、やれば、少しゆるんだ心のたがが、ちょっとは、締まって。



No.141 「紙鉄砲」   2001(平成13)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 昔は、おもちゃを買ってもらうことなど、めったにありませんでした。
 たまに買ってもらうと、その日は嬉しくて嬉しくて、夜遅くまで遊んでいたものです。
 あの頃、自分で作ったおもちゃを、いくつか覚えています。紙鉄砲もその中の一つ。材料は、細い竹と、新聞紙。道具は、ナイフ一本あれば、それで大丈夫。
 「ポーン」という、大きな音が響き、新聞紙を丸めた弾が飛び出せば大成功。一緒に作っていた兄弟に、「どうだ」と自慢したものです。
 どんなに出来が悪くても、自分で作ったおもちゃは、大切に使っていました。使った後は、大事に宝箱の中へしまって。
 物は、大切にしたいものです。作った人のことを考えると、簡単に捨てるだなんて、とてもとても。



No.140 「兄弟姉妹」   2001(平成13)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 兄弟が四人や五人いた時代は、今から、どのくらい前になるでしょう。あの頃に比べると、今は、兄弟の数が、少ないどころではないようです。
 兄弟姉妹が多かった分、賑やかさも格別でした。兄弟喧嘩などは、当たり前。家の中はもちろん、外へ出ても子どもたちの声が、響いていたものです。
 そうそう、仲のいい友だちと、悪いことをした覚えがあります。それがまた、おもしろくておもしろくて。
 でも、あれは、子どもだからと許される範囲。そのあたりの分別、いつの間にか、子どもごころに、わきまえていたようです。
 まさか、やっていないと思うのですが。子どもたちから見て、「あれっ。大人のくせに、あんなことしとる」なんて。



No.139 「たらい」   2001(平成13)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 洗濯機は、今、全自動が当たり前。洗剤を入れ、スイッチを押せば、脱水まで一気にやってくれます。
 おまけに、音で、洗濯が終わった合図まで。いやはや、便利な時代になったものです。
 洗濯板とたらいを使って洗濯していたのは、いつ頃までだったのでしょう。
 ローラーを回して絞る洗濯機の登場に驚いたのも、もう随分前のこと。
 その後は、洗濯と脱水の二層式洗濯機に。そして、今、乾燥までやってくれる洗濯機があるとか。
 次々と、便利なものが出てきています。こんな便利になって、いいのかと思うくらいに。
 便利もいいのですが、どちらかと言えば、手間暇かけた方が、心に残るようです。
 心の奥に残ること、一つぐらいやりたいですね。そう、それならお勧め、ボランティア。



No.138 「色鉛筆」   2001(平成13)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 以前、本やノートに印をつけるのは、色鉛筆に決まっていました。それも、赤や青の色鉛筆。
 今使っているのは、ほとんどが蛍光ペンで、色も様々です。
 教科書やノートに色鉛筆で印をつけると、それだけで、覚えたような気持ちになったものです。実際は、全く頭の中に入っていなかったのですが。
 勘違いをして、その気になることがあります。それに気づいたときは、もう、あとの祭り。
 でも、時にはその気になることも必要のようです。それなら、一度挑戦、ボランティア。



No.137 「ちり紙」   2001(平成13)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 広告の書いてある、小さなティッシュペーパーをもらうことがあります。ポケットやバックの中に入れておくと、何かのときに重宝。
 そう言えば、昔、どこの家にも置いてあった、ちり紙、すっかり見かけなくなってしまいました。
 昭和三十年代頃までだったでしょうか、ちり紙の代わりに、新聞紙を使っていたことも。
 紙が貴重品、そんな時代があったことを、もう忘れかけています。いつの間にか、贅沢に染まったのかも知れません。
 たとえ紙一枚でも大切にしていた時代があったこと、いつまでも忘れたくないものですが。



No.136 「ミカンの缶詰」   2001(平成13)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 家で、ミカンの缶詰を目にすることが、少なくなってしまいました。缶詰は、長い間とっておいても悪くならず、重宝したものです。
 以前、ミカンの缶詰を食べることができたのは、風邪を引いて寝込んだときなど、特別な時だけでした。
 それが、おやつの時などに出てくると大喜び。あれは、賞味期限が過ぎたものだったのかも知れません。
 あの、とろっとした甘い汁が、また格別。ゆっくり味わいながら、ゴクッゴクッと喉の奥へ。
 最後には、器の底までペロペロ。あんなおいしいもの、いつか、お腹いっぱいになるまで、食べたいものだと思っていました。
 作っている人のことを思うと、食べ物を残せるはずがありません。ましてや、捨てるだなんて、とてもとても。



No.135 「掛け時計」   2001(平成13)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 最近、電池式の時計が多いようです。昔、どの家にもあった、ゼンマイ式、振り子の大きな掛け時計、あまり見かけなくなってしまいました。
 ボーンボーンという、時を知らせる音、今でも耳の奥に残っています。
 昔は、掛け時計の時間が、少しぐらい違っていても、何とも思わなかったもの。でも、時間は、正確な方がいいに決まっていますよね。
 誰もが、時間を気にするようになった頃から世の中、何かが違ってきたような気がします。
 そして、同じ時間なのに、年々短くなってきているように感じるのは、どうしてでしょう。
 ボランティア。忙しくて、時間のない人へ特におすすめ。やれば、時間の流れが、少しは変わってくるかも。



No.134 「記念写真」   2001(平成13)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 昔、カメラは貴重品でした。もちろん、一家に一台だけ。それを、大切に使っていたものです。当時、写真は白黒。カラー写真を初めて見て、驚いた覚えがあります。
 写真を撮るのも、特別な時だけ。記念写真を撮るとき、カメラマンに姿勢を直されたことがありましたっけ。
 ところが、緊張していたたためか、余計変な姿勢に。笑顔の余裕なんか、とてもとても。
 古い写真を見ると、すぐ当時のことを思い出します。懐かしい顔に出会えるのは、いいものです。
 笑顔の思い出、残るはず。ボランティア、やれば、顔が自然に「はい、チーズ」。



No.133 「虫歯」   2001(平成13)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 子どもの頃、学校で虫歯の検査がありました。大きな口を開けて、歯を診てもらいます。
 「Cバツ」と言われたところは、大きな虫歯。ほっぺたが腫れ、夜眠れなくなるほど痛くなると、とうとうあきらめて歯医者さんへ。
 歯医者さんの待合室では、キィーンという音が聞こえてきます。あれを聞くだけで、いけません、もう、泣き出しそうになりました。
 虫歯なんて、治療が済めば、それまでの痛みが嘘のようになくなります。どう考えても、治療は、早めの方がいいようです。
 どうせなら、嫌なことは、早く済ませて楽に。そんなこと、分かっているはずなのに、ついつい。



No.132 「下刈り」   2001(平成13)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 山の下刈りは、どんなに暑くても長袖のシャツ。足下は、もちろん、地下足袋。
 腰には、ひもでしばったナタとノコギリ。そう、帽子と手ぬぐいも欠かせませんでした。
 下刈りの日は、みんな汗まみれ。でも子どもたちは、沢へ入って遊ぶのに夢中。
 子どもたちは、仕事の手伝いもせず、びしょ濡れになりながら、沢ガニ探しや、魚をとってばかり。
 下刈りが終わった夕方近く、それまで薄暗かった所へ日が差し、一面明るくなっていました。
 そうそう、家へ戻る時、家族全員が木を背負い、持って帰ったものです。あの木は、かまんどや風呂用に使っていましたっけ。
 いけません。最近、汗をかくこと避けているようです。流した汗の量だけ、成果が出るのに。



No.131 「荷馬車」   2001(平成13)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 昔、道路といえば、砂利道。砂利道には、大きな穴が、あちこちにあいていたものです。
 その穴をふさぐため、大粒の砂利を持ってきて、埋めていましたっけ。その後、しばらく経ってから、アスファルトに。
 そうそう、荷馬車を覚えています。馬が、いっぱい荷物を積んだ荷車を引っ張り、砂利道をゆっくりと。それを見つけた子どもたちは、走って後ろの荷台に飛び乗ったり、降りたり。
 馬を操っている人は、それに気がついても、知らんぷり。あの頃の大人は、子どもとはそんなものだと思っていたのでしょう。
 でも、本当に危ない時は、大声で叱られたものです。その点、けじめはしっかり。
 危ないことや悪いこと。そんなことを見かけたら、叱るのは大人の役割。それだって、考えてみれば、立派なボランティア。



No.130 「リヤカー」   2001(平成13)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 大きな荷物を運ぶのに、リヤカーを使っていたことがあります。
 あのリヤカーは、確か昭和四十年代ごろまで活躍していたものです。今は、もう見かけなくなってしまいましたが。
 リヤカーを後ろから押すのは、子どもたちの役割。坂道では、「ヨイショ、ヨイショ」と大きな声。力は半人前でも、声だけは、もう一人前でした。
 あれは、家族全員、みんなで助け合いながら、家の仕事をしていた、古きよき時代です。
 ボランティア、一人でやるより、みんなでやれば、力が出ること間違いなし。それなら、今度、家族揃って。



No.129 「寝押し」   2001(平成13)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 ズボンの折り目は、すぐ消えてしまいます。折り目の消えないズボンがあれば、便利なのにと思っていました。
 おしゃれに目覚めた中学生の頃、学生ズボンに寝押しをしたことがあります。寝る前、折り目が曲がらないよう整えて、敷布団の下へ。
 ところが、朝起きると、折り目が二重に。そんな時は、大慌て。それでなくても時間がないのに、必死にアイロンがけ。何で、あんなに一生懸命だったのか不思議なくらいです。
 あの時、ズボンの折り目を気にするくらい勉強をやっていれば、さぞ立派な成績を。いえいえ、間違っても、それはなかったでしょう。
 成績は良くなくても、せめて、折り目正しい人だと、言われるようになれれば。



No.128 「たんぐつ」   2001(平成13)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 外を歩いている子どもたちの足下を見ると、スニーカーを履いていることが多いようです。
 そういえば、昔の子どもたちは、たんぐつを履いていましたっけ。
 たんぐつはゴム製。外側が真っ黒で、中は茶色。靴下なんかせず、素足のまま履いていたものです。
 ちょっと深い水たまりに入ると、靴の中までぐちょぐちょに。あのぐちょぐちょ感が、へんに気持ち良く、水たまりや小川を探して、その中に入っていました。
 本人にすれば、あんなに楽しいことはありません。しかし、他から見ると、何で水たまりの中へ、などと思ったはず。
 思い込みだけで、判断することがあります。でも、人はそれぞれ。自分の考えを押しつける のって、あまり。






本波 隆(ほんなみ たかし)

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