『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.127 「会議」   2000(平成12)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 会議に出ていて、眠くなることがあります。しゃべっている方は真剣なのでしょうが、聞いてる側は、ついうとうと。あれが、また、気持ちいいのです。途中で気がつき、慌ててメモを取るふり。
 自分に関係ないことだと思うと、それだけで眠くなってきます。そんな時、誰かがあくびをすると、自分まで。
 さすがに、大きな口を開けて、あくびは出来ません。手を口に当てて、遠慮しながらのあくび。思いっきり、両手を伸ばしたいのですが、それは、いくらなんでも。
 私が、話し手側の立場なら、腹が立ったはず。考えてみれば、これまで、随分失礼なことをしてきたようです。
 立場を変えて考えてみると、気のつくことがいろいろ。
 相手のことを気にかける。そんな人なら、きっと大丈夫。ボランティア、一度試してみるのも。



No.126 「誕生日」   2000(平成12)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 誕生日にお祝いをしてもらったのは、いくつまでだったのでしょう。お祝いのケーキ、大きな口を開けてムシャムシャ。「誕生日、いかったね」と言われ、なんだか照れていましたっけ。
 誰かに、「おめでとう」と言われると、嬉しいものです。
 でも、本当は、人生の先輩に対してこそ、誕生祝いをしてあげるべきなのかも知れません。 今度、言ってみましょうか。年長者の誕生日に、大きな声で「おめでとう」って。
 笑顔がいっしょだと、嬉しさ倍増。ボランティア、やれば、きっと優しい心も届くはず。



No.125 「ワイシャツ」   2000(平成12)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 今、カラーワイシャツが流行しているようです。それも、少し濃いめの色が。あんな色のワイシャツを着るのは、外国の人だけだと思い込んでいました。
 そう言えば、普段着る服の色も、淡い色より、はっきりした色が多くなっているようです。
 ワイシャツの色が、白だと決まっていたのは、いつ頃までだったのでしょう。考えてみると、物が、そんなに豊かではない時代までだったのかも知れません。
 そうそう、カフスボタンをしている人もあまり見かけなくなりました。白のワイシャツに、ちょっとおしゃれなカフスボタン。あれは、憧れだったのですが。
 白いワイシャツに、汚れのない心。それって、最高のおしゃれかも。そうすると、私のおしゃれは、まだまだ未熟。



No.124 「腕時計」   2000(平成12)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 今は、小さな子どもたちまで、腕時計を持っているようです。少し前まで、腕時計は高級品。
 自分で持てるようになったのは、ある程度の年齢になってからでした。
 最初は、りゅうずを回して、ねじを巻く時計。その後、自動巻に変わりました。やらなくてもいいのに、腕をぐるぐる回していたことも。
 その次は、デジタル式。時計に耳をあてても、カチッカチッという音は、聞こえてきませんでした。最近は、光で動く時計まであるとか。
 時計の針は、忘れずに時間を刻んでくれます。ぼんやり過ごした一日も一日。頑張った一日も、同じ一日。
 どうせなら、せめて秒針のように、着実な歩みができればなどと。



No.123 「兄弟」   2000(平成12)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 最近、兄弟の数が少なくなっているようです。そう言えば、子どもたちの遊び声も、あまり聞こえてきません。
 昔は、うるさいぐらい、あちこちから、子どもたちの声が聞こえてきたものなのですが。
 あの頃は、兄弟が三、四人いても当たり前。逆に、兄弟の少ない方が珍しいくらいでした。
 生活は、今に比べて決して豊かでは。でも、もらったお菓子を分けたり、兄が弟の面倒をみたりすることは、ごく自然に行われていました。
 強い者が、弱い者をいたわる。それは、誰かに言われなくても、いつの間に身についていたような気がします。ときどき大喧嘩をしても、そんなことを学べるのが兄弟。
 きっかけは、誰かに言われてやるのもいいでしょう。でも、次からは、自分の意志でボランティア。



No.122 「置き薬」   2000(平成12)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 家に、柳こうりを風呂敷で背負った売薬さんが訪ねて来たのは、いつも決まった頃でした。
 こうりの中には、整理された薬が、ぎっしり詰まっていたのを覚えています。
 家にあった小さな薬箱へ、使った分の薬を補充した後が楽しみ。紙風船や、小さなコマなどがもらえましたから。
 紙風船などは、あの頃の子どもたちにとって貴重な遊び道具、夢中になったものです。
 ボランティア。夢中になれるかどうかは、分かりません。でも、薬のように、きっと、心の中へじわじわと。



No.121 「道草」   2000(平成12)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 ランドセルを背負った学校からの帰り道、友だちと一緒に、あっちに行ったり、こっちへ来たり。まっすぐ家へ帰った記憶がありません。
 毎日通っている道なので、そんなに変わったことはないはず。ところが、いつも何かを見つけていました。虫や草、水たまり、石ころなど、おもしろいものが山ほど。
 道草をしながら、友だちとのおしゃべりも楽しみでした。授業中は静かなのに、帰るときは、元気いっぱい。あれだけの元気さが、どうして授業中に出なかったのでしょう。
 今は、歩いていても、新しい感動に出会うことがなくなってしまいました。それだけ、心に余裕がなくなっている証拠かも。
 頑張ることは大切です。でも、忙しい時こそ、道草をするぐらい、心にゆとり持ちたいものですが。



No.120 「試験」   2000(平成12)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 試験の前日になると、いつも、もっと早くから勉強しておけばよかったと、悔やんだものです。最後は、いつも一夜漬け。結局、中途半端に終わり、最悪の結果に。
 今でも、勉強をしないで、試験に臨む夢をみることがあります。試験用紙が配られ、答えを書こうとするのですが、勉強してないことに気づき、どうしようかと思ったところで目が覚めて。
 普段から、勉強しておけばいいのは、分かっていました。でも、ぎりぎりまでやらなかったのは、自分のせい。それで成績が悪いのなら、しかたないことです。
 努力をせず、あきらめることって、あります。本気でやらずにあきらめるなんて、もったいない、もったいない。



No.119 「台所」   2000(平成12)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 昔の台所は、今と大違い。ご飯は、薪を使い、かまんどで炊いていたものです。台所からは、薪の燃える音が聞こえていました。台所の天井は、すすで真っ黒。煙で目が痛くなることもありましたっけ。
 台所には、冷蔵庫なんてありませんでした。調味料だって、自家製のみそと、醤油に塩、それに砂糖ぐらい。今は、余るほどの調味料が棚に並んでいます。
 昔は、手間と時間をかけて料理を作っていたもの。今は、電子レンジでチン。本当に便利になりました。
 でも、便利さに慣れすぎて、ありがたみが薄れてきたかも知れません。いやいや、ありがたさに気がつかないようになったのかも。
 昔の苦労は、言いません。でも、今の幸せに気がつかないとしたら、それは問題です。ボランティア、やれば、幸せが何かって、少しは見えてくるかも。



No.118 「おてま」   2000(平成12)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 子供のころ、親から言われて近所や親戚の家へ届け物をすると、向こうの家からおてまをもらったものです。
 あめ玉一個でももらうと、大喜び。それは、単純なものでした。
 届ける時の言葉は親から教わり、忘れないよう、何度も何度も頭の中で繰り返したものです。
 でも、玄関に着くと、「あれ、何て言うがやったかな」って。
 届けた家から、後で、必ずといっていいほど、お返しがありました。
 ボランティア、やっても、おてまはもらえません。でも、やれば、何かが心に残るはず。きっと、それが、おてまかも。



No.117 「中華そば」   2000(平成12)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 子どもの頃、年に一度か二度、映画館へマンガ映画を見に行ったことを覚えています。映画館のある駅まで、電車に乗って二十分ぐらいだったでしょうか。当時は、すごく遠くまで出かけるような気がしたものです。
 映画を見終わってからの食事が、また楽しみでした。何せ中華そばが食べられるのです。 食堂に入って注文するのは、いつも中華そば。
 しばらく待っていると出てくる、アツアツの大きな器。汗をかきながら、残さず食べたものです。あのとき、なんておいしいごちそうだと思っていました。
 今は、あの時の中華そばほど、おいしく感じることが、ほとんどありません。
 物が少なかった分だけ、いい時代だったようです。中華そば一杯で、小さな幸せを、感じることができたのですから。



No.116 「ヒット曲」   2000(平成12)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 最近のヒット曲は、外国の歌かと勘違いするほど、カタカナの歌詞が多いように感じます。一度や二度聴いたぐらいでは、何を言っているのか、さっぱり分かりません。
 英語を話せるくらいならいいのですが、とてもとても。学校で英語を勉強したのは、随分前のこと。もう、ほとんど、忘れてしまいました。今になって、もう少し英語の勉強をしておけばよかったと反省です。
 メロディーを覚えた歌は、いつまで経っても忘れません。メロディーが流れてくると、すぐに思い出します。勉強もそうだったら、さぞかし成績は良かったはずなのですが。
 自分の思いを伝えられるのは、言葉、文字、身振りなど。日ごろから、自分の思いを、きちんと伝えられる表現、心がけたいものですが。



No.115 「酔っぱらい」   2000(平成12)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 随分前のことです。雪遊びをした後、家に戻ってくると、甘酒が準備してありました。寒い時は、あの温かい甘酒が、とてもおいしく感じられたものです。
 もちろん、今のようにジュースなどの飲み物が、簡単に手に入らない時代。
 フーッ、フーッ、と息を吹きかけながら飲むと、こうじの粒々が口の中いっぱいに。飲んだ後は、体の中が、ほかほかになったものです。
 飲み過ぎて、顔が赤くなったことも。あれが、最初の酔っぱらい体験だったのかも知れません。
 甘酒は、子供たちが帰ってくるまで、冷めないよう温めてありました。優しい心くばりが、されていたのですね。
 あの時、甘酒を作ってくれた人の優しさ、今ごろになって気がつきます。
 優しさに気づいたら、小さなお返しできれば。そう、ボランティアで。



No.114 「水たまり」   2000(平成12)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 今は、狭い道路もアスファルトで舗装され、砂利道は、ほとんどなくなりました。道路が舗装される前は、どの道もでこぼこ。
 雨が降ると、あちこちに水たまりが。子供のころ、わざわざ水たまりの中を歩いたものです。
 面白いのが先で、汚れるのなんて少しも気になりませんでした。
 水たまりや、砂ぼこり。あれは、何の役にも立たなかったかもしれません。でも、なんだか、心を豊かにしてくれていたような気がします。
 今やれば、心が豊かになるものって。そう、ボランティア。



No.113 「停電」   2000(平成12)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 昔は、よく停電になったものです。電力会社から、事前に停電になる日と時間の案内があったのを覚えています。あれは、工事のための停電だったのでしょうか。
 最近、どんなに雪が降っても、風が吹いても、停電することはめったにありません。考えてみれば、それは、すごいこと。
 電気は、水と同じで、いつでも使えるものという意識があります。しかし、世の中には、今でも停電しているところがあるようです。
 停電すると、電気のありがさたさが分かります。本当は、普段から感謝の気持ちを持たねばならないのですが。
 電気や水を止めないため、二十四時間努力を続けている人たちがいます。生活の大事な部分を、影で支えている人たちへの感謝、忘れたくないものですね。



No.112 「通学」   2000(平成12)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
_
 通学時間になると、道路には賑やかな声が。子どもたちの声って、いいものです。
 小学生時代、我が家まで迎えに来ていたのは、いつもの顔ぶれ。友だちと、わいわい言いながら、学校へ行くのは楽しいものでした。
 昨日見たテレビのことや、マンガの話。しゃべりたいことは山ほどありました。途中、忘れ物を思い出し、急いで家へ戻ったことも、数えきれないほど。
 歩いて通学していた時は、それを大変などとは思わなかったものです。あの時、 歩いて汗をかいた分だけ、何か身についていたのでしょう。
 汗を流せる幸せ、今、喜ばねば。






本波 隆(ほんなみ たかし)

前のページに戻ります
トップページに行きます