本波隆 ほんなみたかし honnamitakashi
 「おすそわけ2」

本波 隆(ほんなみ たかし)が、2008(平成20)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。

honnami takashi


No37(271) 「卒業式」   2011(平成23)年3月1日『福祉くろべ』掲載
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 広い講堂に、在校生が勢揃い。
 卒業生は、みんな、すっきりした頭で、詰め襟にセーラー服姿。どの顔も、なんだか緊張ぎみ。
 背筋をピンと伸ばし、ゆっくり中央前の席へ向かいます。
 木製の椅子に腰をおろすと、少しだけ、緊張が緩みました。
 式は、校長先生の、言葉から。そして、卒業証書の授与。
 事前に、練習を、何回もやったはずなのに、名前を呼ばれた途端、頭の中が真っ白。
 終わって座席へ戻ると、どう卒業証書を受け取ったのか、覚えていませんでした。
 実は、あれが卒業というより、出発点だったと気がついたのは、随分、経ってから。
 「ボランティア」、やっても、卒業証書は、もらえないようです。でも、やれば、きっと、新しい人生が、目の前に開けて。



No36(270) 「ハンコ」   2011(平成23)年2月1日『福祉くろべ』掲載
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 仕事に就いた時、職場の先輩から「ハンコを、きちんと押せんと、偉くなられんよ」と言われたもの。
 今から思えば、あれは、細かなところにも、気をつけなさい、という教え。
 でも、あの時は、それに気がつかず、ハンコを上手に押せれば、それだけで偉くなれると、勘違いをしてました。
 家で使っているのは、昔からある木製のハンコ。引き出しの中に、荷物受け取り用、通帳用など、まとめて何本か。
 これは、大事なハンコだからと、わざわざ別な所へ、しまうことがあります。
 ところが、いざ、使う段になり、どこへ置いたか忘れて、探し出すのに大騒ぎ。
 うっかりも、笑って済ませる内は、いいのですが。
 どうやら、先を読みすぎるのも考えもの。ここは、素直に、思い立ったが「ボランティア」。



No35(269) 「すごろく」   2011(平成23)年1月1日『福祉くろべ』掲載
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 「一緒に、やらーん」。居間から、家族の呼ぶ声が。
 行くと、こたつの上に、漫画本付録の、すごろくが広げられていました。
 サイコロをふって、出た目の数だけ前へ進みます。でも、途中いくつかの落とし穴。
 2つ前に戻る、などというのは、まだ、ましな方。中には、ふりだしへ、という箇所も。
 絶対、この数は出ないで、と思っていたのに、出たさいころの目を見て、「ありゃー」。
 すごろくは、大人も子供も、関係なしの運任せ。だから、家族みんなで、楽しめました。
 何回目かに、ようやく、一番で「あがり」。賞品にもらったミカン1個を前に置き、「まだ、あがらんがー」と、鼻高々。
 おっと、自慢するのも、ほどほどに。そう、「ボランティア」だと、自慢とは無縁。その上、やれば、人として、いつの間にか、大きく前進してるかも。



No34(268) 「糊」   2010(平成22)年12月1日『福祉くろべ』掲載
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 あれは、セロテープなんて便利なものが、家に置いてなかった時のこと。
 紙を張るために、使っていたのが、買い置きの糊です。
 フタがついていた、容器入り。ぬるための、小さなヘラもついてましたっけ。
 でも、そのヘラを使うのが面倒で、つい指を。
 糊が、チューブ式になったのは、確か、その後のことです。
 近くに糊が見つからない場合、よくやっていたのが、ごはん粒を、指でつぶしての代用。
 糊でも、ごはん粒でも、くっつけば同じなのですから。
 今使っているのは、棒状で、底の部分を回して使うもの。指も汚れず、きれいにぬれます。
 でも、まさか、糊が、あんな形に変わるとは。
 変わっていいものと、変わらないでもらいたいものが。そう、変わらないでもらいたい代表に、優しい心と「ボランティア」。



No33(267) 「カスタネット」   2010(平成22)年11月1日『福祉くろべ』掲載
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 音楽の時間になり、みんなで、ぞろぞろ音楽室へ。
 椅子は、何人かが一緒に座る、少し長めのもの。
 机の台は、少し斜めになっており、窓のカーテンは、黒くて厚手のものでした。
 青色のカスタネットを、左の手のひらへ。先生の方を見ながら、音楽に合わせ、右手を大きく動かし、カチッ、カチッ。
 ところが、途中、間違えて叩き、一人だけ大きな音を。
 恥ずかしくて顔がまっ赤になり、横目で、そーっと、隣にいる同級生の顔を見たものです。
 それまで、力一杯たたいていたのに、失敗してから、急に弱々しく、小さな音に。
 曲が終わると、「手、すべったが」って、同級生に言い訳を。
 どうしてだか、緊張した時に限って失敗をしてました。
 緊張するなと言っても、それは無理。でも、「ボランティア」。だと、緊張せず気軽な気分で。



No32(266) 「山びこ」   2010(平成22)年10月1日『福祉くろべ』掲載
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 ノコギリと鎌を持ち、家族で、近くの山へ出かけた時のこと。
 途中、見晴らしのいい場所で、一休みです。
 びっしょりかいた汗を、首に巻いた手拭いで、ひと拭き。
 背負った、かがりから、水筒を取り出しゴクゴク。「ほら」っと、手渡しされた飴玉を、口に入れれば、もう元気百倍。
 遠くの方へ向かって、大きな声で、「ヤッホー」。すると、声が、周りの山々に、こだまして。
 一緒に登った兄弟、「おれも、おれも」と、負けずに大きな声で、「ヤッホー」。
 遠くに見えた、茶色の電車、左から右へ、ゆっくり動いて、まるでおもちゃのよう。
 どこかの家の庭から、一筋の煙が天に向かって、すーっと。
 目の前の風景、時間の経つのを忘れて、見てましたっけ。
 そうそう。逆に、忘れてならないものは、他人を思いやる、優しい心と、「ボランティア」。



No31(265) 「画板」   2010(平成22)年9月1日『福祉くろべ』掲載
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 あれは、図工の時間。
 大きな画板を手に持ち、小学校から外へ出ての授業です。
 先頭を行くのは先生、その後を、整列した子供たちが。
 でも、きちんと並んでいたのは最初だけ。おしゃべりに夢中になり、すぐに、ばらばら。
 現地へ着くと、先生から集合時間などの説明。それが終わると、友達と一緒に場所探しです。
 見つけたのは、石垣の上。登って、画板を膝の上へ置き、鉛筆で下書き。ところが、それに、少々時間がかかりすぎ。
 チューブに入った絵の具を、パレットへ押し出し準備完了。絵筆を持ち、ゆっくり画用紙に向かいます。
 しかし、帰る時には、時間切れで中途半端な絵が画板の上に。
 どうせなら、中途半端より、きちんとやらねば。でも、「ボランティア」だと、最初は構えず、軽い気持ちで始めてみるのも。



No30(264) 「甘ウリ」   2010(平成22)年8月1日『福祉くろべ』掲載
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 遊ぶのに忙しく、どれだけ言われても、宿題なんて、ほったらかし。
 あれは、小学生時代の夏休み。
 早目のお昼を済ませ、同級生を迎えに、風を切って、いつもの道を自転車で。
 頭には、麦わら帽。後ろの荷台に積んだのは、裏の畑で採れた、黄色い甘ウリが一個です 。
 河原に着くと、まず、泳ぐ場所探し。流れが緩やかで、水はたまっているが、深くない所。近くに砂場があれば、なお良し。
 水中メガネをつけて潜ると、たくさんの魚。手で捕まえようと思っても、そう簡単には。
 泳ぎ疲れて小休止。砂の上に友達と並んで腰を下ろし、口に含んだ甘ウリの種を、飛ばしながら「うんまいね」って。
 今、川での泳ぎは厳禁です。
 誰かに駄目と言われると、なんだか。「ボランティア」時には、何か言う人も。でも、やれば、きっと、心に爽やかな風が。



No29(263) 「浪曲」   2010(平成22)年7月1日『福祉くろべ』掲載
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 夕食後、真空管ラジオから流れて来たのは、三味線の音色。
 続いて、かけ声と、かすれたうなり声。
 家族は、読んでた新聞を途中で止め、メガネをはずしながら「虎造ちゃ、いいねぇー」って。
 ところが、あの頃、小さな子供たちには、何がいいのか、さっぱり。
 記憶に残っているのは、森の石松、赤穂浪士、左甚五郎など。
 浪曲を聞いているうちに、いつの間にか、家族がラジオの近くへ集まってました。
 最初は、変だと思っていた声も、しばらくすると、いい声に聞こえてきたから不思議です。
 他にラジオで楽しみにしていたのは、落語や漫才、講談などの演芸。そうそう、声帯模写などというのも。ところが今は。
 その時々で、はやりすたりがあるようです。でも、「ボランティア」なら、きっと、やる度に、心へ響いてくる何かが。



No28(262) 「木馬」   2010(平成22)年6月1日『福祉くろべ』掲載
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 「上へ、まいりまーす」と、きれいなお姉さん。
 あれは、デパートのエレベーター前でした。
   家族の後ろにくっついて入ると、すぐに超満員。周りを背の高い大人に囲まれ、なんだか息が詰まりそう。
 途中止まりながら、着いたのが屋上です。スピーカーからは、大きな音で、賑やかな音楽。
 すぐ、目に飛び込んで来たのが、大きなメリーゴーランド。きれいに飾られた、木馬や馬車が、ぐるぐる回ってました。
 「あれ、乗りたい」とせがんで、選んだのは、上下する白い木馬。上下に、ゆっくり動きながら回るのが、初めての体験。
 何周かして止まると、木馬から下り、「おもっしょかったー」と、走って家族の所へ。
 世の中、そうそうおもしろいことばかりでは。でも、「ボランティア」、やれば、きっと、わくわくするような体験も。



No27(261) 「聴診器」   2010(平成22)年5月1日『福祉くろべ』掲載
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 「順番に、並んで」と、言われて、保健室へ。
 あれは、小学生時代、年に一度の身体検査です。
 まず、身長測定。身長計の台には、立つ位置の足形が。支柱へ背中を押し当て、あごを引いて、大きく背伸びです。
 次は、大きな目盛りの、体重計の上。その後、座高や、視力、肺活量なども計ってました。
 医師の診察は、いつも最後。注射を打たれたことがあるせいか、白衣姿を見ただけで、なんだかドキドキしたものです。
 先生、聴診器をあてながら、「はい。深呼吸して」って。ところが、途中首をかしげ「ん?」。
 子供ごころに、なんだか嫌な予感。でも、先生、すぐ笑顔に戻り「うん、大丈夫」。心配した分、何だか嬉しくなりました。
 いつも、嬉しいことばかりとは限りません。でも、「ボランティア」。やれば、きっと、元気と一緒に、たくさんの笑顔も。



No26(260) 「赤飯」   2010(平成22)年4月1日『福祉くろべ』掲載
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 「遊んどるなら、手伝って」と、家族の呼ぶ声。
 おめでたい時など、何日も前から、小豆の準備です。
 まず、用意したお盆の上に、小豆をバラバラと広げます。
 その中から、虫が喰ったり、欠けたりしたものを、つまんで取り出し、横の小皿へ移動。
 薄暗い電灯の下、一粒ずつ、いい小豆だけ選別してました。
 使うせいろは、きれいに拭いて準備。餅米も、前の晩から水に浸してありました。
 朝、かまどの釜に、水をたっぷり入れ、その上にせいろ。
 蒸し上がった赤飯は、おひつに移した後、とっておきの赤いお椀に盛り、御膳へ。
  あの頃、赤飯を口に出来たのは年に数える程で、すごいご馳走。でも、どんなご馳走だって、続くと、飽きるから不思議です。
 逆に「ボランティア」、やればやるほど、きっと、心の中に、深い味わいが、じわじわ増して。



No25(259) 「改札口」   2010(平成22)年3月1日『福祉くろべ』掲載
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 頭には、買ってもらったばかりの、真新しい帽子。
 出札口で、駅員さんに「子供一枚」。受け取った切符は、家で言われたとおり、落とさないよう、しっかり握って。
 電車に乗ると、入り口近くに空いてる座席が。「やったー」と走って靴を脱ぎ、長椅子の上に窓側を向いての正座です。
 そうそう。家を出る時、脱いだ靴は、きちんと揃えるよう、何度も念を押されたものです。
 動き始めると、膝を立て、額を窓ガラスに押しつけ、外を流れる景色に見入ってました。
 目的の一つ前の駅を過ぎると、慌てて靴を履き直し、下り間違いをしないよう、扉の前で待機。
 駅に到着すると、持たされた風呂敷包みと、切符を確認しながら、前を歩く大人の後にくっついて、急ぎ足で改札口へ。
 おっと、そんなに慌てなくても大丈夫。そう、「ボランティア」じっくりやれば、到着するのは、きっと、にっこり笑顔駅。



No24(258) 「せい比べ」   2010(平成22)年2月1日『福祉くろべ』掲載
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 「でかなったねー、ここ立って」、と言われ、兄弟で柱の前へ。
 柱には、鉛筆で、何カ所も書き込みの跡。
 背筋と頭を、思い切り伸ばします。すると「おーっ」。でも、すぐに「だめやねか」って。
 実は、こっそり、つま先を立てていたのが、ばれてました。
 あの頃、兄弟より1センチでも背が高くなりたかったもの。結局、いつまでも背の差は、変わらなかったのですが。
 家で、背の高さを調べたのは、年一回ぐらい。柱には、遠くにいる、伯父さんの名前も残ってました。
 見て、あんな大きい伯父さんに、こんな小さな頃があったのかと、なんだか妙な気分。  伸び盛りでも、背丈と心は、まだ子供のままだった頃です。
 体の大きさなんて、関係ありません。そう、「ボランティア」。やれば、きっと、子供の頃の純真な心が、また、芽ばえて。



No23(257) 「おんぶ」   2010(平成22)年1月1日『福祉くろべ』掲載
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 ご飯の仕度する間、たのむちゃ」。言われて、下の子の世話。
 最初は、二人仲良く遊んでいたのに、途中から、いつものけんか。
 とうとう泣かせてしまい、台所から「小さい子、泣かせとるが、だれー」と大きな声。
 「お前のせいで、また怒られたねか」と、ひとりブツブツ。
 ご機嫌とろうと、しゃがんで、背中におんぶ。すると、小さな手が、両方の肩に、しっかり。
 後ろへ回した手で、お尻を押さえて立ち上がり、体を左右に揺らしながら、「よーしよし」。
 しばらくすると、さっきまであれだけ泣いていたのが、いつの間にかスヤスヤ。
 背中に感じる体温が、なんだかとても温かく、子供心に、けんかは、もう止めようって。
 だめだと思ったことは、すぐ止めるに限ります。逆に、「ボランティア」、思い切って始めれば、きっと心の中まで温かく。



No22(256) 「定規」   2009(平成21)年12月1日『福祉くろべ』掲載
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 持ってた定規は竹製で、長さが三十センチ。
 裏には、小筆を使い、家族が、墨で大きく学年、組、名前を。あれは、物差しとも呼んでましたっけ。
 目盛りの反対側には、細い溝。使った覚えはないのですが、あれは、なんのための溝だったのでしょう。
 でも、定規は、授業で使うより、他の方が多かったような。
 授業中、ふざけて、前の席の友達の頭を、定規でトントン。こちらを振り向くと、口元に手を当てて、笑いをこらながら「ウフフッ」。
 休み時間になると、腰に差した定規を抜いて、「エイ、ヤーッ」。あれは、教室の中での、チャンバラごっこ。
 でも、それが先生に見つかると、「コラー」と大目玉。
 いけません。叱られるようなことをしては。そう、「ボランティア」。やれば、きっと、心に優しさの目盛りが、また一つ。



No21(255) 「駅弁」   2009(平成21)年11月1日『福祉くろべ』掲載
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 トンネルに入ると、窓の隙間から黒いススが。
 あれは、汽車で、旅行に出かけたときのことです。
 駅に停車すると、紺色の帽子をかぶった駅弁売りのおじさんが、首から紐でさげた箱を両手で持ち、大きな声で「べんとー、べんとー」。
 箱の中には、積まれた何種類もの弁当。ホームで、どれにしようか迷っていると、発車ベルの音。慌てて指さし「これください、お茶も一緒に」。
 座席に戻ると、膝に置いた弁当箱から、おいしそうな匂い。
 ガタン、ガタン。列車が動き始めると、弁当箱の紐をほどいて、まずは、フタの裏にくっついていたごはん粒を。
 次に、箸を伸ばしながら、さてどのおかずから食べようかと。
 何を選ぶかは、人によって様々です。でも、「ボランティア」、やれば、どれを選んでも、きっと、心は満足感でいっぱいに。



No20(254) 「クシ」   2009(平成21)年10月1日『福祉くろべ』掲載
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 最初に買ったのは、髪を伸ばし始めてから。
 選んだのは、黒いビニールケースに入った、アルミ製の軽いクシでした。
 毎朝、出がけに、そのクシを使って、鏡とにらめっこ。
 右手にドライヤー、左手にクシを持ち、時計と競争しながら、髪を整えていたものです。
 ところが、時間をかけても思うようにならず、いつも中途半端な気分で外出。
 あれは、整髪料などのせいでなく、実は、土台が土台のため。そのことに気がついたのは、しばらく経ってから。随分長い間、勘違いをしていたものです。
 でも、いつ頃からだったでしょう、おしゃれなんて「どうでも、いいちゃ」と、気にしなくなったのは。
 どうでもいいなんてことは、ありません。そう「ボランティア」。やれば、きっと、誰かから、素敵な心の持ち主だねと。



No19(253) 「郵便番号」   2009(平成21)年9月1日『福祉くろべ』掲載
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 知人から、手紙やハガキが届くと嬉しいものです。
 それが、直筆だと余計。
 今は、ワープロ書きの時代。皆さん、とても上手に、パソコンを使いこなされているようで、中には絵入りのものも。
 昔、手紙を書くのに使っていたのが、万年筆など。表書きの字を見ただけで、すぐ懐かしい顔が浮かびました。
 ところが、今は、宛名までワープロ文字。あれは、なんだか。
 そう言えば、封筒にある赤枠の郵便番号、最初は、確か3桁。現在の7桁になったのは、どのくらい経ってからでしょう。
 郵便番号は、相手の住所を省略でき、とても助かります。
 しかし、番号を間違えると、多分、遠回りして相手の元へ。考えると、私のようなうっかり者には、いいような悪いような。
 「ボランティア」決して、いいことばかりでは。でも、やれば、きっと、心に優しい便りが。



No18(252) 「ばばぬき」   2009(平成21)年8月1日『福祉くろべ』掲載
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 子供の頃、夏休みで、たまに従兄弟たちが集まった時のこと。
 「なんかして、遊ぼ」と、引き出しの中から取り出したのが、箱入りのトランプ。
 よくやったのが、7ならべや、ばばぬきです。
 ばばぬきで、手元のカードが少なくなると、ジョーカーでないカードを、わざわざ上に出して、「さぁ、どっちどっち」。
 向こうが、ジョーカーを引いたら大喜びで、「ほら、だまされた」って。一方、引いた方は、まっ赤な顔。
 勉強はさっぱりでも、あんな駆け引きは、教えられなくてもできました。
 でも、どうして、ほかの呼び方ができなかったのでしょう。ばばぬきだなんて、失礼な。
 失礼だと、分かっているなら、最初から口にしてはいけません。そう、「ボランティア」。始まりは、大きな声に笑顔を添えて、「お元気ですか」の挨拶から。



No17(251) 「脱脂粉乳」   2009(平成21)年7月1日『福祉くろべ』掲載
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 四時限目が終わると、待ちに待った給食時間。白い三角巾に、エプロン姿の給食係の出番です。
 湯気の上がった鍋から、こぼさないよう、ひしゃくを使って、順番に盛りつけ。
 隣の席を、そーっと横目で見て、自分の方の量が多いと、ちょっと得した気分に。
 そうそう。給食に、必ずついていたのが、アルマイトの器に入っていた脱脂粉乳。
 誰かが、「体のためやさかい、残したらだめながいぜ」って。
 たまに出てくる、薄茶色のコーヒー味は、みんな大好きだったようです。
 時々、先生に見つからないよう、脱脂粉乳にパンを浸して。隠れて食べる脱脂粉乳の浸みたパンは、なんだか、とてもおいしく感じました。
 隠れてするなんて、いけません。そう、「ボランティア」。どうせやるなら、気心の知れた仲間たちと一緒に、正々堂々と。



No16(250) 「はたき」   2009(平成21)年6月1日『福祉くろべ』掲載
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 部屋の方から「ちょっと、来てくれん」の声。嫌な予感がしながら行くと、白い割烹着に、手拭いで姉さんかぶり姿の家族。
 そこで、「はい」と手渡されたのが、はたき。背伸びしながら、言われた通り、障子のさんや、かもいをパタパタ。
 すると、綿ぼこりが、こんなにあったかと思うくらい、ふわふわ舞ながら落ちて来たものです。
 慣れた頃、ふざけてやり始めた途端に障子の紙をバリッ。
 恐る恐る振り返り、家族の顔を見上げると、笑いながら「仕方ないねか」って。
 あれは、そうなることを、最初から予感していたかのような顔。
 今から思えば、あの時、掃除の手伝いではなく、邪魔をしていたのかも知れません。
 時には、邪魔かなと感じることだって。でも、「ボランティア」、やれば、きっと、たくさんの笑顔に出会うことが。



No15(249) 「ステレオ」   2009(平成21)年5月1日『福祉くろべ』掲載
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 「遊びに来られ」と、呼ばれて出かけたのが、仲の良かった友だちの家。
 玄関には、家で履いたことのない、スリッパ。
 応接間へ通され、「座らっしゃい」と言われたのが、白いレースカバーのかかったソファー。座ると、体が、まるで床まで沈むようでした。
 何だか落ち着かず、部屋の中を、きょろきょろ。すると、壁際に、扉のついた大きなステレオ。スピーカーの上には、ケースに入った置物も。
 応接間に音楽が流れ、内蔵のラジオでは、FM放送も聞けました。
 しばらくして、家の人がお盆に載せた飲み物とお菓子を。
 少し苦めのコーヒーが新しい体験で、ちょっと違う世界へ踏み込んだ気分になったものです。
 どんな世界が待っているかは、人それぞれ。でも、「ボランティア」、やれば、きっと、心に爽やかなメロディーが。



No14(248) 「ブランコ」   2009(平成21)年4月1日『福祉くろべ』掲載
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 友達に誘われ出かけたのが、小学校。
 目指すは、グラウンドの片隅にあるブランコです。行くと、先客が何人も。
 しばらく砂場で待っていると、「次やよー」って。
 背中を押してもらったのは、初めのころだけでした。
 ブランコの椅子に座って、あとずさり。足をポーンとけり、反動をつけて、後ろから前の方へ
 頭の上では、擦れた鎖の音が、ギーギー。
 そのうち、隣に座っている友達と、高さの競争に。もう座ってなんかいられません。
 椅子の上へ立ち上がり、膝を大きく曲げたり伸ばしたり。すぐ揺れが大きくなり、まるで空へ届くぐらいの勢いに。
 頬をなでる風が心地よく、気分は、すっかり飛行機乗り。
 「ボランティア」、どんな気分になるかは、人それぞれ。でも、やれば、きっと、心は澄み切った青空のように。



No13(247) 「すりこぎ」   2009(平成21)年3月1日『福祉くろべ』掲載
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 「台所の棚の中にあるはずやさかい、持ってきて」。
 言われて探すと、先が丸くくて、ちょっと太目の長い棒が。あれは、すりこぎ。
 家族が手にしていたのは、外側が茶色をした、大きなすりばちです。
 言われて、すりこぎを持ち、しぶしぶながらのお手伝い。
 最初は、汗が出るぐらい力を入れて、ぐるぐると。
 ところが、しばらくすると腕が疲れて、もういけません。
 次は、すりばちを持ち、押さえる係に交替。動かないよう、両手でしっかり押さえていましたっけ。
 夕ご飯の時、手伝って作った料理が皿の上に。それを見つけて指を差し、大きな声で「これ、手伝ったが」。家族にほめられ、満面に笑み。
 「ボランティア」、決して、いつも笑顔ばかりではないはずです。でも、やれば、きっと、心の中に春一番が。



No12(246) 「バリカン」   2009(平成21)年2月1日『福祉くろべ』掲載
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 「だいぶ、伸びたさかい、こっちこられ」。
 呼ばれて行くと、親の手には、銀色に光ったバリカン。
 床には、広げた新聞紙が、準備してありました。
 新聞紙の上に座らされ、首から下、風呂敷で覆いを。
 風呂敷は、切った髪の毛が、上着につかないためのもの。
 まず、頭の前の方から、バリカンでザクザクと。ところが、やっている途中、バリカンで髪の毛を引っ張られ「あいたたっ」。
 あれは、潤滑用の油が足りなかったのか、それとも、腕が悪かったせいか。
 あの時代、男の子は、みんな丸坊主で、女の子は、おかっぱだったものです。
 しかし、刈り終わるまで、動かずにじっと待つのが、つらくてつらくて。
 時には、つらいと思うことだって。でも、「ボランティア」やれば、きっとそれ以上に、心の中がすっきり、さわやか。



No11(245) 「アノラック」   2009(平成21)年1月1日『福祉くろべ』掲載
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 「今日、雪になるさかい、着ていかれ」と、手渡されたのが、黒い色のアノラック。
 表地は、少し濡れても大丈夫な化繊。中に、綿などがたくさん入っており、袖を通すと、ふかふか。
 袖口は、ゴムで、しっかり押さえてありました。
 首の後ろについている帽子をかぶり、左右の紐を口の前で結ぶと、顔中ポカポカ。
 毛糸の手袋をして鏡を見ると、自分の体が、まるで一回りも大きくなったよう。
 暖かかった、あのアノラック、どこへ行く時にも着ていたものです。
 そうそう。スキーなどで濡らしたときは、ちょっと大変。それでも、火の近くにぶら下げておけば、明日の朝まで、すっかり乾いていました。
 時には、大変だと感じることだって。でも、「ボランティア」やれば、きっと、それ以上に、得られる何かが。



No10(244) 「あやとり」   2008(平成20)年12月1日『福祉くろべ』掲載
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 「これ、使われ」と、家の人からもらった、一メートルほどの毛糸。
 あれは、セーターを編んでいた毛糸の余り。色は、ちょっと濃い目の紺でした。
 それを、固結びにして大きな輪に。手首へ通し、指先で引っかけて作ったのが吊り橋。川やほうき、それに、ゴムなどもありました。
 指先を動かして作るのを見てても、覚えるのはなかなか。
 あやとりは、男の子より、指先が器用な、女の子の方が得意だったようです。
 そうそう、二人で交互にとりあうあやとりも。親指と人差し指を使い、そーっとつまんで。クルッ。
 失敗すると、「ほんださかい、動かすな言うたがに」と人のせい。でも、あれは、誰かのせいではなく、本当は自分のせい。
 やってる途中で分かるかも。「ボランティア」誰かのためでなく、実は自分のためにだと。


No9(243) 「こより」   2008(平成20)年11月1日『福祉くろべ』掲載
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 まとまった紙などを、綴じるのに使っていたのが、こより。
 あれは、和紙を指でよって作った、紐のようなもの。
 指先で、和紙を、くるくる丸めただけですが、とても丈夫なものでした。
 そうそう、片方の端は、最後まで丸めず、旗のように少し残したまま。
 紙を綴じる時は、四隅を揃えてから、キリで穴を。その穴から、こよりを通して固結び。
 ただ、上手に結ばないと、こよりがゆるゆるに。結び方にも、ちょっとしたコツがあったようです。
 その後、黒いとじ紐を使うようになり、今は、ファイルが主流。リングやスプリング、樹脂製など種類も多く、目移りするほど。便利で、いい時代になりました。
 便利さとは少々無縁のようです。でも、「ボランティア」、手間暇かければかけただけ、きっと、心がポカポカと。



No8(242) 「落とし物」   2008(平成20)年10月1日『福祉くろべ』掲載
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 あれは、道路が、アスファルトになる前、砂利道だった頃のことです。
 学校の授業が終わり、友達との帰り道。前の方に、丸い形をした物が落ちているでは。もしかして、と走って行き、見ると嬉しい十円玉。
 それからしばらくの間、歩く時は、下ばかり見ていたものです。しかし、そう簡単に、お金が落ちていることなど、なかったのですが。
 随分経ってから、道端に小さく折りたたんだ、紙切れのようなものが。それが、なんと百円札。
 あの頃、百円なんて、子どもにとっては大金でした。友達と相談し、その足で交番へ。
 お巡りさんに「かたい子やね」と頭をなでられ、照れた覚えが。その日は、家でもほめられ、いい気分でした。
 ほめられることなんて、めったに。でも、「ボランティア」やれば、きっと、その日は充実した、いい一日に。



No7(241) 「竹うま」   2008(平成20)年9月1日『福祉くろべ』掲載
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 準備するのは、ノコギリとかき縄。それに、太めの竹二本と、足を載せる台の板、支えの棒などがあれば、それでだいだい。
 友達の乗っている竹うまが羨ましくて、ねだって作ってもらったことがありました。
 でも、竹うまに乗れるようになるまでが大変。
 前の方から竹うまを支えてもらい、足を載せて進もうとしても、そう簡単には。
 手と足に力が入り、体中がガチガチ。立った、と思ってもすぐ倒れ、前へ進むことができません。
 足下に注意がいくと、今度は、竹うまがグルッと回ってバタッ。何度も転んで、手や足は、もう傷だらけでした。
 そのうちに、コツをつかんで一歩二歩。すると、あれだけ苦労したのが嘘のように。
 時には、苦労だと感じることだって。でも、「ボランティア」、やれば、きっと、頑張った分だけ、新しい世界が。



No.6(240) 「うちわ」   2008(平成20)年8月1日『福祉くろべ』掲載
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 子どもの頃、遊びから帰ってくると、玄関先に見慣れない白い日傘が。奥から大きな話し声が聞こえてきました。
 喉が渇き、水を飲もうと台所へ行くと、コップが出しっぱなしに。あれは、お客さんに出す、ガラスの模様の入った麦茶専用のコップ。
 奥から、「帰ってきたがけ」と呼ぶ声。顔を出すと、お客さんがニコニコと。
 手に持った丸いうちわをパタパタあおぎ、襟に後ろには、汗取り用の白いハンカチ。
 「ちゃんと、挨拶しょ」と言われて、頭を下げたものの、目の前にある、包装紙のかかった箱が、どうにも気になって仕方ありません。
 お客さんが帰ると、その箱を開けるのは自分だと、兄弟で争いになったものです。
 争うことなんて、まず。「ボランティア」やれば、きっと、心に吹き込んできた涼しい風に誘われ、自然に笑顔が。



No.5(239) 「安全カミソリ」   2008(平成20)年7月1日『福祉くろべ』掲載
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 髭剃りはは、カミソリの刃を、上と下から挟む、組み立て式の安全カミソリで。
 そうそう、カミソリの刃は、小さな箱の中に、油紙で一枚ずつ包まれていましたっけ。
 あの安全カミソリを使っていたのは、もう随分前のことです。
 まず、髭剃り用のブラシに石けんを。ブラシの柄は、持ちやすいよう、丸みを帯びた形でした。
 ブラシの部分は、茶色の、柔らかな毛。たっぷり石けんををつけてから、口の周りへ。
 そして、鏡を見ながら、安全カミソリで、スーッと。
 今、髭剃りは、電気カミソリが主流のようです。あれは、石けんもいらず、とても便利。
 でも、充電するのを忘れ、途中で終わり、なんてことが。
 「ボランティア」やれば忘れていたことを思い出すかも知れません。そう、純粋だった、小さな頃の優しい心を。



No.4(238) 「鏡台」   2008(平成20)年6月1日『福祉くろべ』掲載
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 子どもの頃、家に、丸い形をした、手で持つ鏡がありました。確か赤い色で、模様入り。
 その鏡、親に黙って、ちょっと借用。
 窓から入った太陽の光を鏡で反射させ、壁や天井に向けてキラキラ。
 それにあきると、次は、近くにいた、兄弟の顔めがけキラッ。びっくりした顔を見るのが、おもしろくて。
 そうそう、奥の部屋にあった鏡台。そこに出し忘れていた化粧品を見つけ、ちょっと悪さを。
 後で、鏡台の部屋から、「きゃー、何したが」、と家中に響くような声。
 それを聞き、慌てて外へ飛び出したものです。帰ってから、もちろん大目玉が待っていたのですが。
 時には、嫌なことが待っていることだって。でも、「ボランティア」、やれば、心が鏡のように澄んでくるかも。



No.3(237) 「草刈り」   2008(平成20)年5月1日『福祉くろべ』掲載
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 庭や畑の草が元気すぎて、困るくらいになってきました。
 これからしばらくは、また草との戦いが始まります。
 除草剤など、使わなかった時代のこと。草取りは、手と鎌しかありませんでした。
 親に言われて、草刈りの手伝い。「根っこの方から、取られ」と言われ、「わかったちゃ」と返事したものの、そんな面倒なことは。
 早く終わらせようと、鎌を使い、根本の方からザクザク。
 ところが、慣れてきたころ、慌てたせいか、指先までいっしょに切って、「あたーっ」。
 汗ふき用に持っていた手拭いを裂いて、包帯代わりに応急処置。指が痛くなるくらい、固く結んでもらいましたっけ。
 痛む指を抱えながら、慌ててはいけないと、少し反省。
 時には、反省だって必要のようです。ゆっくり慌てず、「ボランティア」。やれば、きっと、心の中に新しい芽が。



No.2(236) 「はしご」   2008(平成20)年4月1日『福祉くろべ』掲載
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 最近、木製のはしごを、あまり見かけなくなってしまいました。
 今は、はしごの代わりに、アルミ製の脚立などを使っている人が多いようです。
 そうそう、わらぶきの、くず屋根だった、古い家の時のこと。
 へんなか(いろり)で、燃料として使う、たきもんを貯蔵してあった屋根裏の場所が、「あま」。
 あの「あま」は、薄暗くて、いつも、わやわやでした。
 「あま」への上り下りは、備え付けのはしご。あのはしご、何か所も補修した跡がありましたっけ。
 たきもんが無くなると、「あま」から、へんなかの近くへ、投げ落としたものです。
 すると、ホコリが舞い上がり、それはすごいことに。
 時には、ホコリだって、つくかも知れません。でも、ボランティア、やれば、きっと心に爽やかな風が。



No.1(235) 「靴」   2008(平成20)年3月1日『福祉くろべ』掲載
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 デパートへ、出かけたついでに、買ってもらった新しい靴。あれは、まだ子どもの頃でした。
 家へ帰ると、早速箱の中から出して、試し履き。嬉しくて、靴を履いたまま、畳の上を、行ったり来たり。
 「畳だめになるさかい、すぐ脱ご」と言われても、そんなことはお構いなし。
 汚れてないのに、ボロ切れで、一生懸命磨いたものです。
 寝る前、その靴を枕元へ置いて手に取り、何度も何度も見ていましたっけ。
 そうそう、底に皮が張られている靴も。あの靴は、少々高めですが、底がすり減っても張り替えができ、長く使えました。
 でも、あれは大人用の靴で、子どもたちの靴底は、もちろん合成ゴム。
 大人も子どもも、大丈夫。この春、お気に入りの靴を履き、一歩前へ踏み出しましょうか。そう、ボランティアで。






本波 隆(ほんなみ たかし)

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