『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.95 「あんか」   1998(平成10)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 こう寒くなってくると、暖かい布団の中に入るのが一番です。今は、ストーブや電気毛布があるので、昔のように、寒くて夜中に目が覚めるなんてことはほとんど。
 豆たんを覚えています。豆たん専用のあんかに入れ、布団の中へ。すると、一晩中ポカポカ。
 そうそう、湯たんぽもありました。お湯を沸かして、湯たんぽの中へ。使う人がやけどをしないよう、しっかり布でくるんであったものです。
 台所も、あの頃に比べると、随分変わってしまいました。今から、あの時代に戻れと言われても、だめかも知れません。もう、すっかり便利さに慣れてしまったようですので。
 あの頃に戻したいもの、いくつかあります。年長者を大切にする心、人の優しさ、そして隣近所の助けあい。



No.94 「甘酒」   1998(平成10)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 寒くなると、甘酒を思い出します。小学校から帰ってくると、冷めないようこたつの中に暖めてありました。口に入れ、のどを過ぎると、体中がポカポカの気分に。
 湯飲みに残った、こうじのつぶつぶは、指で取ったものです。一生懸命、指の先までなめていました。
 よその家でごちそうになる甘酒と、我が家の味は、どこか違っていたようです。でも、我が家の味が、いつも一番。
 体の芯から温まるもの、他にも、きっとあるはずです。そう、ボランティアだって。



No.93 「小刀(こがたな)」   1998(平成10)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 鉛筆を削るのに、小刀を使っていたのは、もう随分前のこと。今は、手動式の鉛筆削り機もありますが、どうやら、電気鉛筆削り機の方が多いようです。
 手動式鉛筆削り機の前が、筆箱に入る小さな鉛筆削り。鉛筆を手で回して削る、小さな鉛筆削りでした。穴の中に鉛筆を入れて回すと、削りくずが、くるくると。
 その前に使っていたのが、小刀。鉛筆を削るには、ちょっとしたこつが必要。上手に鉛筆の先を削れるようになったら、もう一人前の気分。
 授業中、先生の話を聞かないで、鉛筆を削るのに夢中になり、叱られたことがありましたっけ。
 誰でも、叱られるより、ほめられた方が嬉しいものです。さてと、今度、叱る前に、ほめるところを探して。



No.92 「つるし柿」   1998(平成10)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 大きな竹のかごの中から渋柿を一個ずつ取り出して、膝の上に。皮をむく包丁は、右手。誰もが手慣れたものでした。
 つるし柿を作るのは、いつも女性の役割。でも、家族みんなが協力しあっていたものです。あの時は、夜遅くなることも、たびたび。
 つるし柿は、固くなる前が食べごろ。柔らかくて、甘くて、それはおいしいおやつでした。子供たちは、家の人の目を盗んで、何個も食べたものです。
 最近、以前に比べて、つるし柿を作る家が少なくなったように感じます。昔は、どこの家の軒先にも、ずらりと並んで下がっていたのですが、最近はそれほどでも。
 あれほど手間と時間をかけていたのに、忙しいなんていう人は、いませんでした。それに比べて、今は。



No.91 「押し切り」   1998(平成10)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 最近の稲刈りは、コンバインであっと言う間に終わります。刈り取ったわらは そのままコンバインで細かく切り刻み、田んぼへ戻します。あれは、今の言葉でいうと立派なリサイクル。
 昔の稲刈り時期は、朝早くから夜遅くまで大変。そう、何から何までが、手作業だったのですから。
 稲を刈る。刈った稲を束ねる。束ねた稲を、はさ木にかけて干す。そして、乾燥させた稲を、脱穀する。そうして、ようやくお米が口に。
 押し切りの出番は、ずーっと後。押し切りとは、手でわらを切るための道具。わらを短く切断し、田んぼの隅々まで手でまいていましたっけ。
 苦労して育てた人の方が、感謝の気持ちは、ずっと大きくなるようです。
 ボランティア、やれば、苦労があってもなくても、心の中に、たくさんの稲穂が。



No.90 「おまけ」   1998(平成10)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 最近のおやつは、スナック菓子などが多いようです。お店へ行くと、お菓子の種類がたくさんあって、選ぶのに困ります。
 そういえば、昔は、よくキャラメルを食べましたっけ。箱をあけ、一個ずつ取り出しては、口の中へ。
 あの頃は、おまけのついたキャラメルが人気。
 キャラメルについていたおまけは、大切な宝物。友だちに見せては、自慢していたものです。
 ボランティア、やれば、優しい笑顔が、おまけについてくるかも。



No.89 「洗面器」   1998(平成10)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 朝起きて、最初にするのは顔を洗うこと。顔は、そんなに汚れているわけでもないのに、洗わないと気持ちが悪いものです。
 顔を洗うのは、もちろん洗面所。洗面所がない時代は、台所でした。
 今の洗面所は、とてもよくなりました。何せ、蛇口からお湯が出てきたりするのですから。
 洗面所につきものは、洗面器。洗面器もプラスチック製の前は、金ダライ。あちこちにぶつけて、デコボコになったものでも、大切に使っていたものです。
 顔や手の汚れは、洗面器に入れた水で洗えば、すぐとれます。「人は、見かけじゃないちゃ」と言っても、汚れているのはどうも。
 目に見えない心の汚れ、毎朝、洗面所で洗い流せればいいのですが、こればかりは。



No.88 「三角乗り」   1998(平成10)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 自転車で三角乗りをしている子ども、見かけなくなりました。三角乗りって、自転車のペダルに足の届かない小さな子が、サドルに座らず、サドルの下から斜めに足を入れる乗り方。
 あの頃は、三角乗りが自転車の第一歩でした。でも、うまくバランスをとることが出来ず、何度も転んで、練習したものです。
 しまいには、体も自転車も傷だらけ。「あー痛い」と言いながら、夕ご飯も忘れて挑戦していましたっけ。
 必死になった三角乗り、ようやく乗れるようになると、いよいよ表の道路へ。すると、突然、世界が広くなったような気がしたものです。
 体の大きさに自転車をあわせず、自転車に体をあわせる。そんな時代は、ついこの間まで。



No.87 「田植えかご」   1998(平成10)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 黒部峡谷の木々の緑が、とてもきれいな時期です。薄い緑や、濃い緑。みずみずしい緑がなんとも言えません。自然って、いいものですね。
 四月の末に植えた稲が、随分大きく育ってきました。昔だったら、そろそろ田の草取りの時期でしょうか。
 以前の田の草取りといえば、竹で編んだ田植えかごを腰の後ろにつけ、手で草をとっていたものです。かごの中は、すぐ草でいっぱいに。
 体を前に曲げて取るため、腰が痛くなります。田んぼのあちこちに、背伸びをして腰をたたく人の姿がありました。
 あの頃は、田んぼ用の長靴なんてありません。みんな、裸足で田んぼの中に入っていたものです。田の草取りが終わり畦から上がると、足にヒルがくっついているなんてことも。でも、あの時は、とてもいい汗をかいていました。
 そういえば、近頃、いい汗をかいていません。ボランティア、やれば、いい汗かけること、少しは保証できるかも。



No.86 「消しゴム」   1998(平成10)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 鉛筆の上の方に、消しゴムがついているものがあります。あれは、とても便利なもの。いったい、誰があんなものを考えたのでしょう。
 消しゴムを忘れた時には、本当に助かります。
 鉛筆を、耳へはさむくせのある人も。耳は、鉛筆をはさむためにある訳ではないのに、ついつい、手がいってしまうようです。
 消しゴムは、今、プラスチック製に。消しゴムという言葉も、何年か先には無くなっているかも知れませんね。
 これまで消えてしまった物と名前、どれだけあるのでしょう。
 消したくないもの、たくさんあります。第一に、優しい心とボランティア。



No.85 「ガリ版」   1998(平成10)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 今、会社などではパソコンを使えないと、仕事にならない時代です。「おら、できんちゃ」などと言おうものなら、大変なことに。鉛筆一本だけで通用したのは、もう昔のことです。
 そういえば、万年筆を持っている人も、見かけなくなりました。以前、入学や卒業した時のお祝いにもらったのは、万年筆や時計など。
 そうそう、あの頃はガリ版を使っていました。ガリ版に書くには、ちょっとしたコツが必要。力を入れすぎると破れるし、力が弱いと薄くて字が読めません。鉄筆で、ガリガリと字を書く音、今でも耳に残っています。
 字にも個性があります。書いた字をみれば、性格まで分かるとか。さてと、私の書く字は。



No.84 「カレーライス」   1998(平成10)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 カレーライス、子どもたちには人気の料理です。子どもの頃は、毎日でも食べたいと思っていました。
 あの頃、カレーといえばカレー粉。丸い缶に入っている、カレーの粉末を使っていました。
 台所からカレーの匂いがしてくると、もうお腹の虫が。カレーの上には、真っ赤な福神漬けが添えてありましたっけ。お腹いっぱいになるまでお代わりをして、動けなくなるほど。
 カレーの中に入っていたのは、たくさんの野菜と、豚肉が少々。牛肉なんて高嶺の花でした。
 でも、野菜は裏の畑からとってきたばかりで、新鮮この上なし。
 ぜいたくとは、お金を出して買えるものだけではないようです。物のぜいたくより、心のぜいたくの方が、実は上だったりして。



No.83 「おさがり」   1998(平成10)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 あと一カ月で入学式。新しい制服に包まれた、初々しい一年生の姿を見られるのも、もうすぐです。
 今でもそのようですが、以前は、兄から弟へのおさがり。姉から妹へのお下がりが、どの家でも、ごく普通に行われていました。
 本人にしてみると、おさがりより、新しく買ってらった方がいいに決まっています。でも、まだ使える物を、捨ててしまうことなど、もったいなくて。
 弟や妹にとっては、自分だけがいつもおさがり。お兄さんやお姉さんだけが、いつも新しいものを、とひがんだこともありました。
 でも、そんなことは一時だけ。身につけているうちに、忘れてしまいました。
 そして、いつの間にか、小さな体の中に、物を大切にする、という心が養われたようです。
 ボランティア、やれば、心に、新しい何かが芽を出してくるかも。



No.82 「電子レンジ」   1998(平成10)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 電子レンジが登場して以来、台所はとても便利になりました。レンジでチンすれば、何でもすぐに温まるのですから。
 かまどと薪から、ガスの時代へ。そして、今は電気釜と電子レンジが、多くの家庭で使われているようです。
 台所から煙が上がることも、なくなりました。パチパチッという燃える音も、聞けません。
 便利さと引き替えにしたもの、どれだけあるのでしょう。もしかすると、便利さだけを求めて、少し急ぎすぎたのかも。
 このあたりで、少し遠回りをするというもの、悪くないようです。ボランティアで、心の中をチンしてみれば、見えなかった何かが見えてくるかも。



No.81 「鶏小屋」   1998(平成10)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 家で、鶏を飼っているところは、ほとんど見かけなくなりました。もちろん、鶏小屋の跡もありません。
 最近、スーパーや近所の店で、卵を安く買うことがあります。十個入りのパックで、百円に満たないことなんてちょくちょく。
 あれは、どう考えても、卵の原価を割って売っているとしか思えません。私たちにとってはありがたいのですが、生産者のことを考えると、少々複雑な気持ちに。
 家で鶏を飼っていた頃、卵は貴重品でした。産み立てのあったかい卵を取りに行くのは、子どもたち。ほっかほかの卵の感触は、今でも手のひらに残っています。
 物がない時は大切にして、多くなると粗末に扱う。人間なんて、勝手なもののようです。忘れたくないものです、感謝の気持ちを。



No.80 「魚売り」   1998(平成10)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 リヤカーを引いた漁港のおばちゃんが、一軒ずつ回って魚を売っていたのは、もう何年前になるでしょう。
 それぞれの得意先が決まっていて、注文に応じて家の前で魚をさばいてくれたものです。
 玄関から、「今日、いい魚、はいっとるよ」と大きな声。リヤカーの周りには、もう近所の人たちが集まっていました。
 売る方も買う方も、みんな顔なじみ。世間話をするのも楽しみだったようです。箱の中の魚は、朝とればばかりのキトキト。それに、よくおまけしてもらいましたっけ。
 物はなくても、人の優しさと地域のふれあいが、いっぱい残っていた時代です。
 ふれあいは、みんなが声をかけあうことから。そんなこと、言われなくても分かっていたはずなのに。






本波 隆(ほんなみ たかし)

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