『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.79 「ござ」   1997(平成9)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 最近、映画はテレビやビデオで見る人が多いようです。そういえば、昔行っていた映画館もなくなってしまいました。
 映画を見るのに、ござを持っていったのを覚えています。あの頃、映画を見に行く場所といえば、映画館ではなく小学校。
 少し早めの夕食を済ませると、ござを持って学校へ。ござは、後からやってくる家族のための指定席。いい場所を取るため、早めに行き、特等席に陣取ったものです。
 集まってくる人は、ほとんどが顔見知り。あいさつ声が、あちこちから聞こえてきました。映画の始まるまでのおしゃべりが、また楽しみ。
 主人公が危ない場面では、見ている人から「危ない、後ろから悪者やぞ」と。
 映画が終わると、会場いっぱいに大きな拍手が響いていました。
 みんなで同じものを楽しむことって、最近、少なくなったようです。さて、今度、地域のみんなでボランティア、やって楽しむのも。



No.78 「年賀状」   1997(平成9)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 早いもので、もう年賀状の準備をしなければならない時期になりました。毎年、今年こそは早く済ませようと思うのです。しかし、結果はいつも同じ。ぎりぎりになってからポストへ。
 柄にもなく、きれいに書こうと構えてしまうからだめなのかも知れません。
 でも、もらった人が嬉しくなるような年賀状って、どんなのでしょう。手書きの字。そして、隅っこの方に近況が。そんな程度でいいのもかも知れません。
 あまり考えすぎず、自分にできることを、一度やってみましょうか。ボランティア、やれば、笑顔の返事が届くかも。



No.77 「おつゆ」   1997(平成9)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 あったかいご飯には、おつゆが欠かせません。
 あつあつのお椀からは湯気が立ち上がり、フーフーッと息を吹きかけながら飲むのが最高。
 以前、おつゆは煮干しでとっただしに、自家製の味噌を使っていたものです。今は、調味料を使うことが多くなっているのかも。
 味噌用の樽を持っている家もたくさんありました。味噌樽が置いてあるのは、暗くて寒い場所。樽は一つだけではなく、いくつもあったものです。その味噌が、また我が家の自慢。
 手間と時間をかけて作った自家製の味噌、だから、おいしいのは当たり前だったようです。
 便利さと引き替えに、どこかへ忘れてきたものがあるのでしょうか。さて、忘れてならない昔からの知恵、誰かにしっかり伝えねば。



No.76 「マッチ」   1997(平成9)年12月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 昭和三十年代頃まで、よく停電があったものです。今と違って、電気が消えても「あれ。また消えたちゃ」と言う程度。
 あの頃は、どこの家でもローソクは必需品。マッチも徳用の大箱や小さな箱のものなど、何種類も置いてあったものです。
 夕食の途中に電気が消えると、手探りで茶ダンスの引き出しにしまってあったローソクを取り出します。マッチで火をつけると、家族のにっこりした顔が、浮かび上がりました。
 あの頃は、マッチが大活躍していた時代。スイッチやボタンで、すぐ火がつく今とは、大違いです。
 昔使っていたマッチとローソク、どこへ行ったのでしょう。どうやら、あの頃の家族のぬくもりと一緒に置いてきたようですから、探し出してまた。



No.75 「刈り入れ」   1997(平成9)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 田んぼから、コンバインの音が聞こえてくるようになりました。いよいよ刈り入れの時期です。
 最近、わらは肥料にするため、刈り入れと同時に細かく切ってしまうことが多いようです。
 昔は、脱穀の終わったわらを積み上げて、わらにょうにしていました。どこの田んぼにも、あのわらにょうがあったものです。
 わらを順番に積んでいくのですが、積み方が悪いと斜めの変な形に。上に乗るのは、体の軽い人の役割でした。屋根の部分は、ぐるぐる周りながら仕上げたものです。
 わらには、いろんな使い方がありました。荒縄やむしろ、かますやわらじだって作っていたものです。それも、みんな手作業で。
 今は、あまり体を使わなくなってしまいました。そろそろ、ボランティアで、なまっていた体を、思いっきり動かしてみるのも。



No.74 「笑顔」   1997(平成9)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 人の評価は、どこで決まるのでしょう。勉強ができる、運動が得意、仕事が速くて正確。その他にも、いろいろあります。
 でも、むっつりしている人より、笑顔の人の方が、断然徳をしているのは間違いありません。
 あいさつをしたのに、知らんぷりをされると、自分の中で、その人の評価は最低に。
 逆に、笑顔であいさつをされると、とてもいい人だと思ってしまいます。人間の評価なんて、案外、そんなものかも知れません。
 笑顔は、言葉以上に心を伝えられることがあります。今度、試してみましょうか、笑顔を添えて、ボランティア。



No.73 「見栄」   1997(平成9)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 本当は知らないのに、つい知っているような顔をすることがあります。知らないことを、恥ずかしいと勘違いしているのかも知れません。
 知っていると言ったため、話をあわせるのに苦労することが。知らないと言えばよかったと思っても、もう後のまつりです。
 でも、知らないとは、なかなか言えないもの。知らないことで、自分の評価が下がるような気がして、つい見栄を張ります。
 考えてみれば、嘘をついてまで自分をよく見せたいと思うのですから、これは詐欺のようなもの。その場はごまかせても、いつかボロが出て、結局大恥を。
 どうせなら、知ったふりをするよりも、知っていることを、隠せるぐらいの謙虚さが持てれば



No.72 「ごはん粒」   1997(平成9)年9月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 日差しは、すっかり和らいで来ました。空を見上げると、入道雲が、いつのまにか秋の雲に変わっています。
 赤トンボも、元気に稲穂の上を飛び回り、稲穂がそよそよと風になびいているのを見るのは、いいものです。
 最近の稲刈りは、コンバインであっという間に終わります。
 昔は、稲刈り鎌を手に、朝早くから夜遅くまで汗を流したものです。もちろん、刈るのも、干すのも、みんな手作業で。
 たとえ一粒のお米でも、大切にしていたものです。ご飯茶碗の中に、ごはん粒を残したまま洗うなんて、とんでもないこと。
 お米の一粒一粒にも、それを作った人の心がこもっています。ありがたい、もったいないという感謝の気持ち、まさか忘れては。



No.71 「田の草取り」   1997(平成9)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 少し前まで、どこの家のたんぼのあぜ道にも、枝豆やあずきが植えてあったものです。
 あんなに狭い場所でも、使わずにいるのがもったいない、と思っていたからなのでしょう。
 田の草取りも、腰をかがめての作業でした。
 あの頃は、手間暇かけ、家族総出で働くのが当たり前。子供たちも、学校から帰ると田んぼへ行ったものです。
 田んぼには、にぎやかな声が飛び交っていました。汗をかいた後、みんなで一緒におしゃべりをしながら一休み。あの一服の時間が、また楽しみでした。
 あの時のように、気持ちのいい汗を、また流したいものですね。
 いい汗流せること教えます。ボランティア、やれば、いい汗かけること間違いなし。



No.70 「手の跡」   1997(平成9)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 地面についた足跡は、時間がたつと消えてしまいます。雨が降ると流され、車が通ると、またたく間に跡形もなくなってしまいます。
 足跡なんて、一瞬のもの。考えてみると、人間の一生に似ているような気さえします。
 先日、こんなことを耳にしました。足跡は消えても、手の跡は残る、と。
 手の跡とは、針仕事であったり、手作業で作った物。そして、絵や文章なども、これに当てはまるのでしょうか。
 知らない間に消えてしまう足跡より、自分自身の手の跡を、どこかにしっかり残すことができればいいのですが。
 ボランティア、やれば、手の跡と一緒に、心に何かを残せるかも。



No.69 「後かたづけ」   1997(平成9)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 誰かから「後かたづけしょー」と言われると、おもしろくありません。自分で、そろそろかたづけねばと思っていた時は、余計そう。
 頭の中で分かっていても、つい、にくまれ口が出てしまいます。素直になれないことって、ありますよね。
 夏の大掃除では、畳を外へ出します。畳の下には、古い新聞紙が。畳を外へ運び出した後、敷いてある新聞紙をゆっくり読むのが、また楽しみでした。
 一年前の記事でも、改めて読み直すと、おもしろくて止まらなくなります。その日に届いた新聞より、真剣に読んだもの。
 後かたづけをすると、気分まですっきりします。部屋がきれいになる上、いい気分に。それなら、誰かに言われる前、すすんで自分から。



No.68 「傘」   1997(平成9)年6月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 最近、明るい色の傘を持っている人が、多くなりました。模様も色も、傘にしておくのはもったいない、と思うようなものまであります。
 天気予報で雨が降ると言っても、家を出る時晴れていると、つい傘を持つのがおっくうに。
 でも、傘を持たずに、帰る途中で雨に降られた時は最悪です。結局、駆けだして息を切らすはめに。
 昔は、傘のほねが折れると、直して使っていました。そうそう、傘のほねを修理する専門の人も。今は、ちょっと壊れたからと、すぐにポイ。
 ほねが一本折れた傘でも、雨の時なら助かります。少し直して使えるものなら、捨てずに再利用するぐらい、やってやれないことでは。



No.67 「ナイフ」   1997(平成9)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 ワープロが普及したおかげで、ガリ版で書いたものを見かけなくなってしまいました。
 人柄や温かみが出るのは、手書きが一番なのですが。どうやら、便利さ優先の時代で、キーボードが、鉛筆にとって変わったようです。
 昔、学校へ行く前の晩、ナイフで鉛筆を削るのが日課でした。鉛筆を揃えて、一本ずつ順番に。
 消しゴムだって、小さく小さくなるまで大切に使っていたものです。もったいないから大事に使う、これは、文房具だけではなかったようですが。
 忘れ物をした時は、誰かがすぐに貸してくれました。困っているのを見かけた時は、頼まなくても助ける人が必ずいたものです。
 始めませんか。誰かに頼まれなくても、自分から率先ボランティア。



No.66 「採点」   1997(平成9)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 自分の採点では、もっと高い点数がつくはずなのに、どうしてこんなに悪いのか、と思うことがありました。
 そう感じるのは、学生時代ではなく社会へ出てからの方が、多いようです。試験の結果で評価された時は、すんなり納得できたのですが。
 でも、採点する側に立つと、これまた責任重大。内容をわかって採点するならいいのですが、そうでない場合は、お互い不幸なことに。
 中には、案外、分からずに点数をつけている人だっているのかも。
 点数なんか気にせず、誰もが合格点間違いなし。ここは大きく百点目指して、ボランティア。



No.65 「電話」   1997(平成9)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 遠くに住む知人から、突然電話がかかってくることがあります。長い間会っていなくても、声を聞いて分かる人だと、嬉しいもの。
 電話の内容は、近況報告などとりとめのない話。でも、それが、またいいですね。
 話をしているうちに、相手の顔や姿が浮かんできます。電話代のことなんか関係なし。あっという間に時間が経ってしまいます。
 顔を見ながらだと話せないことでも、電話なら言えることがあります。自分の思いを伝えるには、とても便利。
 日本語は、とても美しい言葉です。話してもよし、書いてもよし。昔から伝えられてきた言葉を、大切に守るのは私たちの責任なのかも知れません。
 みんなが、意識して美しい言葉を使っていると、世の中、少しは変わってくるかも。



No.64 「春一番」   1997(平成9)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 ついこの間まで水道の水が冷たいと感じていたのに、今はそれほどでもありません。
 春は、青葉若葉。夏はギラギラした太陽。秋には実った稲穂。冬は雪。日本の四季は、いつも私たちに何かを与えてくれます。
 春は、今年も忘れずにやって来てくれました。
 こんな当たり前のことが、実はすごいことで、私たちは、そのことに気がついていないだけかも知れません。
 この春、思い切って新しいことに挑戦してみましょうか。心の中へ、春一番の風を送り込むというのも、また。
 新しくやる候補は、山ほどあるようです。その選択肢の一つに、忘れてならない、ボランティア。






本波 隆(ほんなみ たかし)

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