『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.47 「火鉢」   1995(平成7)年11月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 朝晩、随分寒くなってきました。寒い日は、こたつに入るのが一番。炭火のこたつを見かけなくなり、もう何年経つのでしょう。
 電気こたつも悪くありません。でも、炭火のこたつは暖かさが違っていたような気がします。
 炭火と言えば、どこの家にも火鉢があったものです。両手を火鉢にかざしていると、ほっぺたまで真っ赤に。
 炭が。パチッと音をたてて、出していた手のひらに飛び、「あちっち」。
 こたつや火鉢のほかにも、温められるものがあるようです。ボランティア、やれば、きっと、心がほかほかと。



No.46 「タンスの引き出し」   1995(平成7)年11月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 タンスの引き出し、何をどこへ入れるかは、いつの間にか決まっています。でも、大事な物だからと、一番奥へしまったのを忘れて大あわて、なんてことも。
 季節の変わり目、タンスの整理をしていて、なくしたと思っていた物が見つかり大喜び。
 整理をしておけばいいのに、その場になって、タンスの中を引っかき回してばかり。
 今度、心の中に、ボランティアという引き出しを作ってみましょうか。中へ入れるのは、優しさと、ちょっとした勇気。もちろん、引き出しから取り出すのは、自分自身。



No.45 「かけ違い」   1995(平成7)年11月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 最近、ボタンをしないことが、カッコいいと勘違いしている人がいるようです。
 でも、ボタンは、きちんとしていた方が、いいに決まっています。
 ボタンが取れると、針と糸で縫いつけます。ボタンは、取れても簡単につけられるから、いいですね。
 最初のボタンをかけ間違えると、さあ大変。急いでいる時に限って、そんなことがあるようです。落ち着けば何てことないのに、どうしてでしょう。
 あわてずに少し早めの準備と心構え。それは、どうやら、勉強や仕事にも当てはまるようで。



No.44 「魚のしっぽ」   1995(平成7)年11月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 食事の時、魚を食べる機会が多いようです。
 昔は、一匹の魚を、家族みんなで分けて食べていました。魚を丸ごと食べられるなんて、子どもたちには縁のないこと。
 魚の頭の方を食べられるのは、おじいさんか、お父さんだけ。子供たちの前には、いつもしっぽの方。しっぽでも、おいしかったものですが。
 年長者は大事に。昔は、三度の食事にも、それが表れていたものです。それが、今は。
 今夜の食事、久しぶりに、一匹の魚を家族みんなで分けましょうか。
 さてと、魚の頭としっぽは、誰の前に。



No.43 「うちわ」   1995(平成7)年8月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 夏真っ盛り。誰かが「あつーい」と口にすると、余計暑く感じます。人が汗をかいているのを見ただけでも、暑く感じるから不思議です。
 うちわ。扇風機。クーラー。涼しくするためには、色々なものがあります。今、お金さえ出せば、涼しさを求められる時代。
 昔は、どこの家でも、うちわ一つで我慢していたものです。暑さをしのぐため、夕方には打ち水を欠かさなかったもの。そう、夜は、蚊を防ぐための、かやだってありました。
 最近、どうやら、我慢することを忘れてしまったようです。
 忘れないこと教えます。ボランティア、やれば、きっと心に忘れられない何かが。



No.42 「メモ」   1995(平成7)年8月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 忘れてならない大事なことを、ついうっかり。人の記憶なんて、いいかげんなものです。どうやら、これは、年のせいだけではなさそう。
 人間は、忘れるから新しいことを覚えられるんだ。そんな屁理屈言っている間に、大失敗。
 忘れないためには、メモをとる。そんな簡単なことが、どうして出来ないのでしょう。
 記憶というあいまいなものだって、メモを残せば大丈夫なのですが。
 メモがなくても忘れません。ボランティア、やれば、記憶という名のメモ帳に、しっかり刻まれること疑いなし。



No.41 「ワープロ」   1995(平成7)年8月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 ワープロの時代と言われて、もう随分経つようになりました。
 手書きには人間の温かさがある。だから、手書きが一番。そんな理屈は、時代の流れと共に、通用しなくなったようです。
 まさか、鉛筆を使わず、キーボードをたたいて文を書くなんて、思いもしませんでした。あと十年経つと、世の中どうなっているのでしょうか。
 ワープロは、難しくて使えそうもない。そんな人がいるようです。でも、さわってみれば、思っていたより簡単かも。
 出来ないのではなく、やらないだけと違いますか。さぁ、思い切って、新しいことに挑戦。



No.40 「包装紙」   1995(平成7)年8月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 店で買い物をすると、包装紙で品物を包んでくれます。きれいな包装をしてもらうと、中身まで良く見えるような気がするから不思議。
 昔、物は何でも大切にしていました。包装紙だって、そう。手間ひまかけて、しわを一枚ずつ伸ばし、押入の中にとってあったものです。
 そう言えば、包装に使われていた紐も、大事にしまってありましたっけ。
 今から考えると、何であんなものを、と思うのですが。
 無駄なゴミは出さず、物を再利用する。これは、昔の人の方が得意だったようです。
 捨てればゴミでも、使えば資源。物は、大切にしなければ。



No.39 「田植え」   1995(平成7)年5月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 近くの田んぼでは、田植えもだいぶ終わったようです。茶色一色だった所が、きれいな緑色に変わりました。改めて見ると、苗の色って、きれいなもの。
 最近の田植えは、ほとんど機械で行います。昔は田植えにも大勢の手が必要でした。わくを転がした後、一列に並び、手で一本ずつ植えていたものです。そう、賑やかな声も飛び交って。
 体は今よりきつかったのに、家族や知り合いの人たちで行う田植えは、つらいと思った記憶がありません。
 逆に、あの頃のことを懐かしくさえ思います。皆で助け合うことが、分かっていたからなのでしょうか。
 お互い様。そんな気持ちで、ボランティアをやってみるのも、案外いいかも。



No.38 「知ったかぶり」   1995(平成7)年5月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 世の中のことで、知らないことは何もない、という顔をする人がいます。知らないことがないなんて、すごいことですね。
 でも、人の知識なんて、それほどでもないようです。どうやら、知らないことを、恥じだと思っている人がいるようで。
 逆に知っていても、知らない振りをする人がいます。そんな人の方が、案外深い知識を持っていたりするから不思議なものです。
 知らないなら、知らないと言うのは簡単なはず。でも、それが、なかなか。
 知ったかぶりをするよりも、体験こそが一番。
 知らないことは知らない、と言える人。そんな人なら、もっと世界が広がるはずです。そう、やってみますか、ボランティア。



No.37 「目覚まし時計」   1995(平成7)年5月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 朝起きるって、つらいものです。時計のベルが鳴っても、布団の中からなかなか出られません。
 ベルを止めてから、うとうとするのが、また気持ちが良くて。時計を止めた後の短い時間でも、夢を見たりします。
 今ごろの時期が、一年中で一番よく眠れるよう。でも、よく眠れたと満足できるのは、一年に何日あるでしょう。どれだけ寝ても、もう寝なくていいや、なんて思うことはあまり。
 目覚まし時計があると、安心するからでしょうか、つい頼りにしてしまいます。何かを頼りにしていると、それが駄目になった時は、さあ大変。頼りっぱなしは、どうもいけないようです。
 さて、明日の朝ぐらい、時計に頼らず自分で起きることにしますか。



No.36 「茶碗」   1995(平成7)年5月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 茶碗に残ったご飯つぶ、「残さんと、ちゃんと食べよ」って、年寄りから、食事のたびに、言われた覚えがあります。
 でも、ご飯のお代わりをするときは、少し残して茶碗を出します。どうして、空っぽの茶碗ではいけないのでしょう。
 昔から、何気なく行っていることでも、必ず理由があるはずです。
 それが、最初は分かっていたのに、いつの間にか忘れ去られ、とうとう。
 親から子へ、子から孫へと、伝わり、世代を越えていくには、やはり、それなりの理由があってのこと。
 年配者の言葉は、うるさいなんて思わず、素直に聞くことが大切のようです。そう、言われなくても、ご飯つぶは、残さずに。



No.35 「いただきます」   1995(平成7)年2月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 食事の前に「いただきます」。食事が終わったら「こちそうさまでした」。食べ物にも感謝するのは、当たり前だと分かっていたはずです。
 でも、いつ頃から、感謝の気持ちを表に出さなくなったのでしょう。
 てれくさいのか、心の中で思っているから、それでいいのだと考えるようになったのか。言葉にしなくなり、随分時間が経ったような気がします。
 口先だけで、内容が伴わないのはいけません。でも、良いことなら積極的に、行動や言葉にしたいものなのですが。
 毎日できる、簡単なことから実行しますか。まずは、大きな声で「いただきまーす」。 私にもできるボランティア、きっとあるはず。さて、それが何かを、ちょっと探して。



No.34 「水漏れ」   1995(平成7)年2月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 家の蛇口から、水がポタポタ。水が漏れていても、つい、あのくらいなら大丈夫だろうと。
 でも、あれが水ではなく、お金だったら大変。財布の中から、たとえ十円でも落ちると、慌てて拾います。
 最初は、どんなに小さなものでも、積もり積もれば大きなものに。蛇口から、お金が落ちていると考えれば、もったいない話です。
 最近、もったいないと思うことが、少なくなりました。もったいない、ありがとう、の気持ちは、いつまでも持ち続けたいものですね。
 もし、ありがとうの心があるのなら、ここは一つ、ボランティアをやってみるというのも。



No.33 「わらすべ」   1995(平成7)年2月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 昭和三十年代頃までの子供たちは、冬の間、靴の中に、わらすべ(わら)を敷いていたものです。でも、今は、それを知らない人の方が、多くなっているのでしょう。
 昔は、お金と品物が無かった分、汗を流し頭で考えていたものです。あのわらすべは、足を保温するための知恵。
 あの頃の子どもたちは、冬でも靴下をはかず、裸足で過ごすのが当たり前でした。
 物がなければ、身の回りのものを利用する。それでも駄目なら、我慢する。昔は、みんなそうでした。
 我慢することも、時には大事。さて、次の世代に、しっかりそれを伝えるのは。



No.32 「三日坊主 」   1995(平成7)年2月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 お正月から、もう一ヶ月が過ぎました。「今年こそ、あれをやるぞ」なんて、元旦に決めたのに、もう中断。自分で決めたことを守っていないのは、誰かさんだけかも知れませんね。
 新たな決意をするのは、いいことです。でも、それを実行しなければ、ただ夢を見ていたのと同じ。
 新しい年は、十一カ月も残っています。だから、今からやっても、まだまだ大丈夫、決して遅いなどと言うことはないようです。
 まとめてやれと言われた方が、無理でしょう。それなら、今日から少しずつでも。今年こそ、卒業したいものです、三日坊主。







本波 隆(ほんなみ たかし)

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