『おすそわけ』

本波 隆(ほんなみ たかし)が、1993(平成5)年〜2011(平成23)年まで、情報誌に書いたコラムを、ご紹介します。。。。




No.11 「おすそわけ」   1993(平成5)年10月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 知らない人にも、あいさつをしていたあの頃。いただきものの蒲鉾を、隣の家におすそわけ。
 そうそう、お風呂だって、近くの家へ入りに行ったこともありました。
 近所に困っている人がいれば、頼まれなくても顔を出していたのは、確かあの人。
 隣の家の夕食前に、晩のおかずにしてくださいと、届けにいったのは誰でしたっけ。
 誰もが特別なことをしているとは思わず、また、それが当たり前だった時代。そんな時代が、少しずつ遠ざかっているような気がします。
 もう一度、ゆっくり、あの頃のことを思い出してみるのも悪くないかも知れません。そう、少しでも、人の痛みが分かるようになれれば。



No.10 「出会い」   1993(平成5)年10月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 こどもの頃の友だちとは、いくつになっても気軽に話が出来ます。
 でも、今住んでいるところには、知らない人の方が多いものです。おもしろい人、頑固な人。やさしい人、真面目な人。人の数だけ個性がいっぱい。
 いろんな人と知り合うことで、自分が、より素敵な人間に、変わる可能性だって。
 知り合うためには、まず出会いが大切。 でも、ただ待っているだけでは、駄目のようです。
 人との出会い。ボランティアって、そんな場の提供なら、いくらでも。



No.9 「小さなこころ」   1993(平成5)年10月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 一つぐらい、これだけは誰にも負けない自信がある、と言えるものを持ちたいものです。
 不思議なことに、一つのことに自信がつくと、どんなことにも自信がついてきたりして。要は、気持ちの持ちようなのかも知れません。
 経験を積めば積むほど、余計なものが付くのか、人の声が耳へ入らなくなったりします。
 身なりは、人に言われて直せても、さて心は、どうでしょう。
 できるなら、小さな頃の、純粋で素直なこころに、また戻ってみたいものですが。



No.8 「外見と中身」   1993(平成5)年10月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 これまで、何度か、外見より中身の方が大切、と言われた経験があります。でも、中身は本人以外、誰にも分からないもの。
 中身が大事なのは当然です。しかし、外見をおろそかにすると、中身にまで悪い影響を与えることがあるようです。
 それに、外見をきちんと整えられない人に、中身は違うんだなどとは、言えないはずです。
 毎日の仕事や勉強を一生懸命にやり、素直で優しい心を持った人。そんな人なら、きっと外見にも心配りができるはずですよね。
 中身に自信がないのなら、せめて言葉遣いや態度など、外から見えるものだけでも。



No.7 「便利」   1993(平成5)年7月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 言葉に出さなくても、互いに分かりあえるのが理想。でも、今は、言葉にしないと、思ったことが伝わりにくい時代です。
 物がなかった頃、不便だったのは事実。で、も、不便だった分、お互いの心の中が、分かりあえたような気がします。
 今の世の中、身の回りには便利な物がたくさん。でも、便利なものを使っているため、感謝の心を、どこかへ忘れてしまったかも。
 山の緑を見て、美しいと感じ、青い空を見て、きれいだと思う。そんな素直な心を、いつまでも持ちたいものですね。
 近くに困った人がいれば、声をかける。まずは、そんな当たり前のことから、始められれば。



No.6 「かけがえのないもの」   1993(平成5)年7月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 家族、健康、仕事、学校、友人。そのどれもが、かけがえのないものです。
 いつも、何気なく感じていて、それが失われた時、初めて大切だったと気がつくもの。それが、多分、一番かけがえのないものでしょう。
 できるなら、失う前に、どれが大切なものか、見極められればいいのですが。
 かけがえのないものに、一つ加えられるものなら。そう、思いやりの心を。



No.5 「無責任の責任」   1993(平成5)年7月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 最初は、責任を感じながらやっていたことでも、月日を経ることで、ごく自然に行えることがあります。
 普段の仕事や勉強をする時、責任を感じることは、それほど多くないようです。
 でも、初めて仕事をした時や、学校へ行った時には、責任感でガチガチ。責任の重さは自体は、それほど変わらないのに不思議なものです。
 「あんたの、好きなようにやられ」と言われると、反対に責任を感じることも。「これは、あんたの責任やぜ」と言われた方が、案外気楽だったりします。
 人は、押し付けの責任が無い方に、責任を感じたりしますから、おもしろいものです。



No.4 「本当のこと」   1993(平成5)年7月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 自分の責任だと思っていたことをやらずにいて、他人から指摘されると腹が立つものです。
 実は、その怒りって、やらねばと思いながら、やらなかった自分自身に向けられて。
 責任を感じるということは、逆に、それだけさえやれば良い、ということにもなります。
 言われたことも出来ないを自分を知りながら、ついつい、言い訳が口をついて出るとは、なんとも情けない。
 誰かから、本当のことを言われても、素直に受け入れられるようになれば、人間として少しは前進。遅いようでも、せめて、今日から。



No.3 「スイッチ 」   1993(平成5)年4月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 暗くなった時、電気のスイッチを入れ、部屋が明るくなれば、ホッと安心します
 でも、スイッチを入れると、必ず明るくなるでしょうか。答えは「いいえ」。電気が来なければ、真っ暗のままです。
 スイッチを入れると、明かりがつくものだと思い込んでいます。でも、どこかに形の見えない大切なものが隠れていることを、忘れてはいけないようです。
 今夜、蛍光灯のスイッチを入れる前、どうして電気が届くのかを、ちょっと考えるのも。



No.2 「知恵 」   1993(平成5)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 私達の祖先は、日ごろから使っている道具や、草や木にさえ、心が宿っているものと考えていたとか。
 一木一草、全ての物を天から授かったと思うことで、「ありがたい」「もったいない」という心を、大切にして来たのかも知れません。
 時には、大切なものは何かということを、じっくり考えることも、大切のようです。
 ものを大切に出来ないような人に、他人を思いやれるはずが。おっと。まさか、物と一緒に、先人の知恵を捨てているようなことは。



No.1 「靴下の穴」   1993(平成5)年3月1日『宇奈月町社会福祉協議会だより』掲載
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 穴のあいた靴下は、ゴミ箱へ捨てたり、どこかへしまったままにしています。
 針と糸。そして、ほんの少しの時間さえあれば、また命を蘇らせることができるのに、もったいないですね。
 靴下だけでなく、ほころんだものをつくろって使うようにしていたのは、昔は当たり前のことでした。
 物を粗末にするようになったのは、いつ頃からでしょう。
 靴下の穴は、もしかすると、心のどこかにあいた穴なのかも。







本波 隆(ほんなみ たかし)

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